北庭から
縁側にでると、そこにも瀟洒な欄間が。お寺にしてはお洒落過ぎるデザイン。
お洒落すぎるデザインの下には、純和風の池泉式庭園。
のんびり、ゆったり、心静かに。
この「こじんまり感」が、逆に落ち着くなあ。
縁側を、ゆっくりと行ったり来たりしてから、
次の場所へと移動する。
少し離れた場所から宸殿を見る。
これは次の場所、霊明殿。歴代門跡の位牌を安置する堂なので、心静かに礼拝し、写真は遠慮する。
小さな木造の薬師如来坐像が祀られている。1103年(康和5年)、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像したもの。国宝仏だけど、小さい上に奥に鎮座ましましているので、しっかり見るのは難しい。白木の輪郭だけはわかる、といった感じだ。
霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に明治44年(1911年)に建立。設計は亀岡末吉。正面上に掲げられた扁額は近衛文麿の筆だそう。
宸殿へ
宸殿へ向かう途中、すてきに刈り込まれた松が、気持ち良さそうに陽の光を浴びていた。その後ろに見える宸殿に昇る階段の手すりのカーブが、なんともフェミニン。
順路に従い回廊を回り込むと、こんな杉戸に行き当たる。
ここからは入れない。横手の回廊へお回りください。扉はあいています↓
釘隠しも、菱形でおしゃれ。
先程の南庭を、宸殿の縁側からみたところ。ひろびろ〜。それにしてもお手入れが大変そう。
宸殿は、御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。大正三年に竣工された。
わずかに開けられた障子のスキマから宸殿の中を覗き込むと、畳敷きの向こうは山水のお庭が。
正面の回廊を回り込むと、こんなゴージャスな杉戸があった。
「御室桜(おむろざくら)の下にて蘭陵王を舞う」の図。
池があり築山がある池泉式庭園は、北庭と呼ばれている。その向こうには五重塔も!
五重塔をズームしてみました。端正。
では回廊の角を曲がって、北庭に面する縁側へ。
角の真向かいに五重塔! 計算済みです、という設計者の面目躍如。
内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれている。
なるほど、障子の下部は牡丹、上部には雁。
冬の交野の「鷹野行幸図」。純和風の部屋に、上部の欄間の透かし彫りがエキゾチック。
隣のお部屋に移動。裏側の襖絵は船が出ているから、夏の交野なのかも。
こちらはさっきより重厚な欄間だなあ。と最後の部屋へ行くと。
うおおおお〜! ゴージャスなはず! 最高級の格式のお部屋ではありませんか!
天井は角がカーブする格天井だし、正面の襖絵は孔雀、しかも金の細工物や螺鈿もふんだんに。左側の襖には、仁和寺を象徴する桜も。
漆の仏具に、やはり黒漆の床框(とこがまち)には、精緻な螺鈿が、螺鈿細工がー!! 掛け軸のひとは、仁和寺第1世である宇多(寛平)法皇。
見てみて! 細かいところまで行き届いたゴージャスさ! もしかして黒漆の床框の下にあるのは、大理石!?
という興奮状態を冷ますために、ゆっくりと北庭を見ることに。
南庭に面した白書院
平安貴族の寝殿造りは回廊が続いて楽しい。回廊は不思議と心を和ませてくれる。やはり、自然を友とした平安貴族の好みが反映されているからかも。
規模は多少小さいながら、大覚寺ににてるなあ。そういえばあそこも門跡寺院だった。雅びで、風や陽光ののどかさを感じられるところが、よく似ているのだ。
降り注ぐ陽光を受け止める、苔むしたお庭。こういうのが好き。
松の手入れの行き届いていることといったら! こういう松の近くにいくと、思わず剪定具合にみとれてしまう私。松はやはり、風が気分よくとおりぬける感じが素敵だよね。
こういう枝を広げた広葉樹もいいなあ。白砂に落ちる影がきれいなのだ。
あちらに見えるのは、儀式や式典に使われる公式行事用の建物、「宸殿」だ。
開放的な回廊を進む。開放的なだけに、冬場は寒いだろうなあ。
中庭がちょっとずつディープなかんじに。飛び石や灯籠も。
白書院前の縁側に入る。書院の中には入れないが、写真は自由にとれるそうだ。
明治に御殿が焼失したとき、ここはまず仮宸殿として建てられ、その後「白書院」と呼ばれるようになった。襖絵は昭和12年に、福永晴帆画伯によって描かれたもの。
そうか、古そうなのに、昭和の作品なんや!狩野派みたいに、大胆かつ精緻。雅びにして華麗。
白鷺の様子もいい。
襖の引手も、なにげに立体感があり、くすんだ金色も好もしい。
この中には入れないけど、くつろげそう。
豪華絢爛な襖絵は、意外に落ち着かなかったりしそうだけど、ここは実用に耐える感じがする(なにさま!?)
宸殿前には、中国の故事にならい「右近の橘」、「左近の桜」がある。ここでは中国直輸入の古式な「左近の梅」ではなく、日本人好みの桜なんだね。
あちらに見えるのは、勅使門。国の元首の使いである勅使だけしか通れない、ということになっている。なので、ほぼ閉門。後ほど、表からのきらびやかな勅使門をお見せしますね。
仁和寺に潜入!
すごいなあ。でかいなあ。柱の太さだけでも感激に値する。
見上げれば、くらくらするような重厚さ。
そこで門から離れようとしたんだけど、仁王さまのバックにも、なにかが囲われている? 狛犬らしいので、狛犬マニアとしては、ちゃんと見て行かなくては。
ぎゃあああああ!! 怖過ぎる、これは怖過ぎる!! いくら笑ってくれても、全然笑い返すことができない! こんな怖い狛犬さんがいるなんて。正確には「獅子」の方だけどね。
じゃあ、右手の柵内には狛犬さんがいるんだよね? 一応、ご挨拶をせねば。
ぎゃあああああ!! こちらも相当怖いよ。夜に見たら震え上がるよ。
と、とりあえず、写真だけは撮っておこう。
門の左手で、拝観料500円を払って「御殿」と呼ばれる建物へ向かう。
壁沿いの小さな門を内側から見たところ↓
白砂が、みごとにきれいに整えられている。屋根に並べられた丸瓦には、桜の意匠がほどこされている。さすがは御室桜で有名な寺院だけある。透かし彫りも繊細で美しい。
皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特長なのだ。
仁和寺は仁和2年(886年)、第58代光孝天皇によって建立を発願されるも志半ばで崩御、続く宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となった。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となる。皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保っていた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失する。
応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾される。
さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来た。
明治20年(1887年)には御殿の焼失があったが、大正時代に再建。
昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録された。
あちらこちらに桜の意匠があり、門跡寺院としての品格と可愛らしさが同居している。
抽選券から始まる。
2月の末日になってしまった。ということは、2月の始めにもらった京都駅レストランの「グルメフェア」の抽選最終日になってしまったということだ。
このことに気づいたので、「京都に行かねば!」と昨夜に決意した次第である。抽選券は1枚ではあるが、のちのち禍根を残しそうな気がしたのだ。(どんな禍根や!?)
でも抽選券1枚のためだけに京都に行くのもなあ・・・。他に抱き合わせのセットにすることってなかったっけなあ?
ああ! 「宇多野郵便局」の風景印が欲しかったんだっけ。鳥獣戯画デザインの、京都の風景印のなかでも、ダントツに可愛い風景印。宇多野郵便局は、河原町や三条や四条や東山からは遠いので、昨年はなかなか行けなかった。このチャンスに郵便局目的で行ってみよう。
なら、「宇多野郵便局」近辺の、徒歩圏内の観光名所って、どこになる?と、グーグルマップで調べてみた。
えーと、バス一区間の距離で「仁和寺」かあ。いいかも。仁和寺、行ったことあるかもしれないけど、そうだとしてもほぼ30年ぶり。しかも全然覚えていない。
ということで、お昼前に京都駅の人になり、そそくさとお昼をすませ、12時過ぎには市バスに揺られ、13時前に「福王子」で下車し、福王寺神社の向かいにある「宇多野郵便局」にて、ウサギつながりの切手で、風景印をいただく。
たぶん京都の風景印で一番欲しかったデザインなので、心の中で欣喜雀躍。
郵便局を出たら、バスで来た道を戻る。ずんずん歩いて行くと、巨大な山門にたどり着く。
見上げる巨大な門は、仁王門だ。
石段の一段分もけっこう高い。
仁王さまはつぶらな玉眼でした。上半身はこんなかんじ。
ロングにひいてみました。
全身でみると、とてもスタイリッシュ。仁王さまファンにとっては、うれしい発見。
もちろん仁王さまは、足が眼目なのですよねえ。足の指がすべて曲がっているのは、力がはいって踏ん張っている証拠。
結構な強風で幕が靡いている向こう側には、もちろん阿形の仁王さまもいらっしゃる。
迫力のおみ足。
ああっ! 1円玉が指のあいだに〜(汗) めんどくさいだろうなあ、取るに取れないし、忍耐の表情でもある。
もしかして、だからフキゲン?
なにしやがるねん!!(怒)
と、「仁王さま鑑賞」を丹念にしてから、門をくぐる。
3度目の金沢卒業旅行。
卒業旅行、というものがある。大学を卒業するまえの、学生のウチに出かけようという、あれである。私の大学生だった頃は、まだ東京ディズニーランドがなく、もちろんUSJもなかったので、たぶん信州や山梨あたりのおしゃれなリゾート地が人気だったような、うっすらした記憶がある。
その頃は「青春の思い出としての旅行」という意味合いだったが、Kちゃんによると「社会人になったら、今度いつ温泉にいけるかわからんから(絶望的にムリそうなので)、いまのうちに満喫しとかんと!」という、切羽詰まったものらしい。今の若い人は大変そうだ。
そんな彼女は、それぞれ違った友達グループと今年度にわたり「卒業旅行」をこなして来た。どんだけ友達いるねん!と思うのだが、今年に入ってからは、「毎日が送別会やねん。しかも1日2回入ってるときもあるし(汗)」。どんなスケジュールやねん。それにどんだけ律儀やねん。
まあ、それだけ愛されてる人なんだということで、納得するか。私が知っているだけで、部屋の合鍵を熱望している「女子」2名がいるし。
彼女が昨日、今年になって3度目の金沢卒業旅行(1泊)から帰って来た。「和倉温泉、よかった、露天風呂から海見えたし。そやけど夕方は曇ってたし、朝風呂は大雨やったし、何も見えんかった。しょうがないから、貸し切り状態の大雨の露天風呂で泳いで、温泉満喫した」 おいおい、あんたは「坊ちゃん」かい!と突っ込んでしまう。道後温泉よりは広いかもしれないけど。
和倉温泉から一足伸ばして富山の高岡まで行って来たらしい。さすがのフットワークだ。「高岡、ええとこやったで。古い昔の町並みが残っていて、趣があって」。ええのう。行きたいのう。
しかし、夜明かししておしゃべりしていた友達は睡眠不足がたたり、バタバタと討ち死にしていったとか(汗)
お餞別を渡していたので、「『圓八のあんころ』と『ます寿司』買って来て〜♪」とメールしたら、ちゃんと買って来てくれた。うれしいな〜♪♪
天狗がレシピを教えてくれたという「あんころ」。こし餡が不思議に甘くないので、これだけをひとりで食べてしまえます。ただし当日限りの賞味期限なので、旅行中か帰宅後即完食がお約束。そんな商品なので、お土産物屋さんでなく「コンビニで売ってます」と言われたそうです。