煉瓦と洋風建築
実は御池でまず行ったのは、三条通にある中京(なかぎょう)郵便局だ。地下鉄の駅から一番近かったから。
この威風堂々たる佇まいの郵便局は、明治35年、吉井茂則、三橋四郎によって設計され「京都郵便電信局」として建てられた。
三条通りは明治期から昭和初期に建てられた、レトロな近代建築が数多くある事で知られている。この少し先にある「京都文化博物館」も煉瓦作りのモダン近代建築だ。こちらは辰野金吾が明治39年に、旧日本銀行京都支店として建てられたもので、国指定重要文化財だ。
いまも郵便局として現役で利用されている。扉は自動扉だが、普通の自動ドアのように引き戸ではなく、開き戸になっているのが珍しい。
せっかく御池に来たのだから、ここには立ち寄らなくちゃ。今回は「京のよすが」ではなく、「せんべまんじゅう」。
「せんべまんじゅう」ってなんだろう?と思いつつ、ショウウインドウにあった一番安いお菓子を「せんべまんじゅう、ください」とお願いしたら、「もなかですね」と念押しされた。「せんべまんじゅう」って、最中でしたか!! そして安い、といってもそこは亀末廣さん、ですからね。
御池から地下鉄に少しだけ乗り、丸太町まで。ここから堀川通まで歩く。その前に、塀の前を通りかかった懐かしいヴォーリズ建築の名作をじっくりと眺める。
「大丸ヴィラ」だ。大学時代、まだ地下鉄が出来ていなかった頃、バスの窓からうっとりと眺めていた物件だ。京都市登録有形文化財。
京都市のHPより引用。
この洋館は大丸百貨店店主の下村家が居宅として昭和5年にヴォーリズ建築事務所の設計,清水組の施工によって建てられました。
当時,日本化して 行く洋館の中で,イギリスのチューダー様式でまとめられていますところから中道軒(ちゅうどうけん)と名づけられました。急勾配の瓦屋根に煉瓦積の煙突を 付け,鉄筋コンクリート造でありながら妻面には太い柱型を見せたハウスティンバー(半木造)によって変化に富んだ外観となっています。
門の装飾は、ギリシャの国花「アカンサス」。明治期の西洋建築の装飾は、当時たまたまヨーロッパで流行していた「アカンサス」の建築装飾が、そのまま「洋館の装飾=アカンサス」として、日本に持ち込まれたそうだ。ということを、実はこのときには、まだ知らずにいた。
イギリスのパブにありそうなハーフティンバー。かっこいい。
塀が下方にカーブして、メルヘンなおうちが顔をのぞかせる♡ なんてキュートなんざんしょ♡
おうちもキュートなら、煉瓦塀もなんともロマンチックだ。
もう、胸をズギュンスギュン打ち抜かれてしまう。
こんな風に二棟が仲良くならんでいるが、デザインは違う。
もうひとつは、ずっとシンプルだ。想像するに、最初のは応接間のあるお客さん用で、こちらは家族の住まいか。残念ながら非公開なので、中に入ったことが無い。特別公開の話も、余りきかない。(大丸のお得意様用頒布会などに利用されていた、というウワサは聴いたことがあるが)
「大丸ヴィラ」の、道を隔てた向かいは御所だ。なんとも贅沢な立地。
平楽寺書店
そもそもは、ここから始まった。京都新聞4月20日付け。
新聞を読んだ時には「そうなんだ・・・」と思っただけだったが、この店舗に行ったことがあるFB友達から「近くのひとは行った方が」とおススメされたので、素直な私は行って見ることにした。場所を調べてみたら烏丸御池で、しょっちゅう前を通っていたはずなのに、まったく私の視野に入っていなかった。私としたことが、うかつであった。
新聞にあったのは、京都の老舗仏教図書専門の本屋さん「平楽寺書店」の記事だ。店舗は国登録有形文化財である近代建築が、今月より解体されるという話である。築90年で老朽化が進んだので、当主は最初、維持改修を検討された。しかし費用は自前で調達せねばならないことがわかり、断腸の思いで断念されたそうだ。
普通の家でさえ、維持改修の費用はため息が出るほどなのに、ましてや国登録文化財ならどれほど・・・。それを個人商店で賄えというのは酷すぎる。当主の立場にたてば、「建て替えやむなし」だろう。残念だし、惜しいけれど、個人が莫大な借金を背負い込んでまで残すのもどうかと思う。こういうところに補助金として使って欲しい税金が、別のトンデモなところでじゃんじゃん使われたりしているだろうことを考えると、なんとかならんのかい!とは思うんですけどね。
一方、これだけのために京都に行くのもと、風景印採取ラリーも兼ねて出かけることにした。ザックリとたてた予定は、書店近くの中京郵便局からスタート。地下鉄に少し乗って、京都府庁前郵便局へ行き、そこから堀川通をバスを使いながら北上し、北大路通りから出雲路橋まで。郵便局を経由して鞍馬口まで行き、地下鉄で京都駅に帰る、というルートだ。なかなかの距離だったりするので、市バスと市営地下鉄の一日乗車券を活用しつつ移動する。
まずは地下鉄烏丸線で烏丸御池で下車。何度も来たことがある、おなじみの場所だ。先に中京(なかぎょう)郵便局に行ったが、それは後日また。郵便局の前の小路を北上する。ほどなく見えて来ました、3階建てのビル。
肉眼でもわずかに斜めになっているのがわかる。そりゃ床のボールが転がるはず。
やはり、すでに重機が入り、サッシなどが外されて解体が始まっていた。予想していたものの、しかもまったくの第三者なのに動揺する。
それでも前面は、なんとか踏みとどまってくれている。
たぶん隣のシュロの木と、エキゾチックによくマッチしていたのだろう。
移転の張り紙は、いつ見ても悲しい。でも閉店ではないし一時移転なので、その点はホッとする。
昔の人はセンスもよかったし、愛情を込めて建物を作ったんだなあと、しみじみする。いまのぱさぱさの建物とは比ぶべくもない。
新生・平楽寺書店ができたら、今度は覗いてみますから、それまでどうぞ社長さん(77)、お元気で。
人生論ノート
今月の「100分で名著」は三木清さんの『人生論ノート』。
初回の感想。
国家総動員法が制定され、個人が幸福を追求するより、国家に身を捧げることを求められた時代に 書かれた書物が現代に響くのは、まさかの「あの時代」と全く同じ重苦しい空気が、現代にも充満しているから。珍しくテキストを買って観てしまった。
「ひとびとは幸福について考えたり、それについて語る気力さえも奪われている」(『人生論ノート』より)
「現代も同調圧力がありますよね」(伊集院さんの発 言)っていうくだりは、ああ、たしかに! 仕事をして心身ともに消耗して病んでいく人がこんなに多いのって、「普通こんなもんだから」「みんながんばってやっているんだから」で済まされることなのか?ということなんだろう。
それでも世論は、いままでの多過ぎる、そして過労死などの大き過ぎる犠牲を払った結果、やっと「いつまでもこんなことやってらんない!」と言う風に、わずかずつながら動いているみたい、とはKちゃんの現場からの意見。
☆ ☆ ☆
最終章を見る。
NHK総合は報道規制が厳しそうだけど、幸いなことにEテレはノーチェックらしい。(見ても理解出来ないのかも?)
「三木は歴史修正主義者を激しく非難した」
「歴史は死(死者)と等しく『真実』である。それは共に尊重すべきものであるからだ」
「歴史を自分たちの都合に合わせて修正することは、歴史に対する冒涜であり、それはまたその時代の死者たちをも冒涜することと同じ」
そうか、靖国にいくら参拝したって、歴史を直視できなければ、英霊を冒涜してるってことになるのね。
中身の濃い解説は、哲学者の岸見一郎さん。ソフトな語り口と、ご自身の体験談も交えた真摯で誠実な解説は、内容とともに感動を呼んだのではないか。難解なテキストを、シンプルな言葉で、具体的な事例をあげながら噛み砕いてくださったおかげで、多くの方が、三木清の思想についていき、感動を共有することが出来たと思う。ありがとう、岸見さん。
岸見さんのおっしゃるように、従軍体験のある数少ない哲学者である三木清が、終戦後も牢獄にとらわれ続け、獄中で亡くなったことが、大変惜しまれる。
『ひよっこ』スタート!
4月のFBより
遅ればせながら、4月最初の話題といえば・・・
4月3日(月)
朝ドラ『ひよっこ』がスタート! いよっ、待ってました!!と叫びたいほど待ちに待っていた岡田惠和さん脚本のドラマだ。そして始まったばかりだけど、去年の秋から首を長くして待っていた甲斐があった、といまから宣言しておこう。
サザンの桑田さんのOPソング、宮川彬良さんの音楽、主演の有村架純ちゃんと、極上の面々。ナレーションの増田明美さんも、ドラマにとてもフィットしていい。語りも明るくお茶目で、そうそう朝ドラの語りはこうでなくちゃね!!とうれしくなる。
そしてなにより!
オープニングのジオラマに大感動。あのアイディアは素晴らしい!! 日本人の得意な「見立て」のセンスに、思わず唸ってしまうほど。ブラシを稲刈りの田んぼに、空き瓶をビルに、ガムをずらして並べて駅の階段に・・・何度見ても見応えがある。繰り返すけど、オープニングだけで感動する。つかみはこれでバッチリだ。昭和30〜40年代を知るひとたちには感涙もののあれこれも、ドラマの中でさりげなく置いてあるので、バックを目を皿にして探索するのも楽しい。
岡田さんの、市井の「ちょっとダメなとこのある普通のひとたち」を温かく見守る脚本がすごく好きなので、毎日がとても楽しくなりそう。日々楽しいことがある幸せを、久々に噛みしめつつ過ごせそうだ。
ところで、このジオラマについて詳細に調べてくださっているサイトがあったので、ご興味のある方はこちらをどうぞ↓
さよなら和歌山
行きとは違うルートでと思い、諸堂のある道を隔てた小径に入る。
すると、まるで降る雪のような、優美な桜の精みたいな枝垂桜に遭遇。この奥に秋葉権現さまのお社があるらしいので、秋葉さまのお引き合わせだね。ぎっしり花のついた桜も綺麗だけど、この花の付き方は絶妙なバランスで夢をみているよう。青空ともマッチしている。
向こうの竹やぶとのコラボがまた美しい。歌舞伎の雪が舞う舞台みたい。
小径を抜け、鳥居をくぐり赤い橋を渡って、向かいのお土産物屋さんの店頭で並ぶ柑橘類を眺める。柑橘好きの私がどれにするか悩んでいたら、呼び込みの元気なおばさんが、「3袋で千円にしてあげる!!」とのたもうので、すっかりその気に(笑) 「せとか」(甘い!「蜜柑のとろ」というポップがついていた)、「はるみ」(ジューシー)「日向夏」(さわやかで香りがサイコー)を買って、リュックがパンパンになった。しかもずっしりと(汗)
そんな重いリュックというハンデを負って、向かう先は駅向こうの粉河郵便局だ。でも道中はなかなか楽しかった。マップで確認済みではあるけど、お土産屋のおばさんにも、郵便局への道順を念のため教えていただいたから、安心だったし。
あっ! 柿の葉寿司のお店だ! 柿の葉寿司には確か、鮎寿司があったはず! と喜んでお店に向かったが・・・定休日でした(悲)
・・・いいもんね、京都の近鉄京都駅の売店に柿の葉寿司のお店があったから、そこでまた買うもんね。と思っても、ショックを隠しきれない。
信号待ちをしていた角のスナックは「高校下」という、バス停のような地理的に分かりやすい名前だ。きっと粉河高校の先生方、職員さんたちのたまり場だ。
ちいさな踏切を渡り、細い路地を歩く。菜の花が満開。
踏切から予想以上の距離があったが、めでたくちいさな郵便局にたどり着く。
粉河寺庭園と「はっさく」の図案がキュートだ。
せっかくの和歌山なので、南方熊楠の切手シートも購入。
急いで駅に向かう。電車に乗り込む前にトイレにも立ち寄らなくちゃ!とギリギリにならないように、小走りで。途中「かき・もも研究所→」というシンプルな案内板があって、研究所にしてはひらがなの柔らかいネーミングだなあ?と気になったけど、のみこんでスルー。さっき調べてみたら、ちゃんとした研究所でした↓
駅に到着。改札を入ったところにトイレがあって、これがもう最新式できれいで、ペーパーが模様入り!! きれいなトイレは増えたけれど、模様入りのペーパーがある駅のトイレは初めてだ!! 次発電車の案内板もなく、今までみたどの駅より充実してないけど、トイレの充実ぶりは今までで一番だ。ホームのベンチも間伐材らしき丸太で作ったチャーミングなものだった。
では、この青い電車で和歌山へ出発!
30分後、和歌山に到着。20分ほど乗り継ぎの時間があるので、改札を出てみた。途中下車できるから、青春18キップは楽しい。駅スタンプを押したり、駅中でお土産物を買う時間はあったのだ。鮭の柿の葉寿司と蜜柑ポン酢を購入。
駅階段。余すところなく、使えるものはなんでも使ってのPR。
またのお越しをお待ちされつつ、大阪駅経由でオール着席してほどよい時間に帰宅。もちろん晩ご飯は柿の葉寿司だ。
本堂と千手堂
外の臨時チケット売り場のサイドから見た本堂。また印象が違います。
鬼瓦さんが、前のめりで威嚇している。
もう一度本堂に戻り、縁側を回り込んでみた。縁側から桜越しの六角堂。
鐘楼。その向こうの桜の影にはカップルがこっそり。このとき、私の後ろには、住職らしき方とお檀家さんらしき方が「ほのぼの会話」?をされていた。
「桜、きれいですなあ」「まだ咲き始めたばっかりやから、今週末くらいがピークの『かきいれ時』やろな」「かきいれどきですかー?」「わはははは」と、和やかなトークを繰り広げられていた。
ところで「御開帳」とはいえ、実のところ粉河寺のご本尊、「千手千眼観音菩薩」は「絶対秘仏」で公開されたことがない。その極秘のご本尊は、本堂の内々陣(仏像を安置する場)の真下に埋められているそうだ。素焼きの入れ物に収められて、大きさは一寸八分(約5.4センチ)らしい。かなり小さいが、誰も見たことがないから真偽のほども不明である。
御開帳されるのは、絶対秘仏のレプリカである「お前立ち」である。その「お前立ち」ですら秘仏。「お前立ち」の観音様がご開帳されるというのも、なかなかの話だ。
暗いお内陣に入らせていいただくと、五色のヒモがお内陣内外に張られていたので、ヒモに触れて観音様と結縁する。暗くて詳細には拝見できなかったけど、小振りで美しいシルエットの観音様だった。
お内陣の裏手の廊下にも、いろんな仏さまなどがいらっしゃるし、徳川吉宗公が寄進されたという、左甚五郎・作「野荒らしの虎」も拝見できた。この虎は、夜な夜な抜け出して田畑を荒らし回り、人々を困らせたので、ついに目に釘を打たれてしまったという伝承があるので「野荒らしの虎」なのだ。なるほどイタズラっ子感に溢れている。
本堂の授与品売り場で購入した「観音湯」。お風呂のもとではなく、生姜湯の素だ↓
本堂の西隣の「千手堂」にある「千手千眼観世音菩薩像」は、本堂の御前立に似た木彫像だと言われていて、これが特別に開帳されている。今回9年ぶりの御開帳。
日頃は中に入れないが、今日は本堂と共通で700円。
中央の祭壇に、千手千眼観世音菩薩像が鎮座している。写真は千手堂のパンフレットより。
1m位の高さの千手千眼観世音菩薩像。小さいのに手の細部も見事。天井画も色鮮やか。
織田信長と豊臣秀吉の紀州攻めに対抗した粉河衆。粉河寺も秀吉軍によって灰燼に帰したが、徳川の時代は御三家の一つ紀州藩の菩提寺となり、手厚い保護を受けた。江戸時代中期から後期にかけて、現在の素晴らしい諸堂が完成したという。
このとき、お堂には私以外にもうひとりおばさんがいらしたのだけど、その方が御朱印をいただいているのを見て、つい私も欲しくなってしまった。仁王さまのお姿も印になっている、御開帳のときだけいただける貴重な御朱印。
お堂を出たら、石段の上の神社が気になって行って見ることにした。「粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)」というらしい。
上から千手堂を見下ろす。屋根の宝珠が立派だ。
上では、おじいさんとお孫さんのお嬢さんが桜を見に来ているだけ。おじいさんはお孫さんに自販機のジュースを買って上げてらした。
こんないわくありげな岩が。
おりしも今年は酉年だ。そのためか、大絵馬もまだ飾られている。
孔雀? なぜ?と思ったのだが、そのときは深く考えずにスルー。今頃ここに孔雀が飼われていることを知る。えーん、見そびれてしまった〜。
なかなかいかつい狛犬さんだが、鞠で遊んだり、
子連れだったりする。
ではそろそろ、粉河寺とはお別れだ。
本堂前
本堂の前には艶やかな桜がある。
ご本尊のお告げによって植えられたという桜だった。とくに有名人のお手植えとかではないし、長命のご先祖は藤原を名乗っていたのに、子孫は湯浅を名乗っているというのも面白い。
桜の枝に攻め込まれつつある六角堂。
枝垂桜が美しく咲いている向こう側には、丈六堂がある。
丈六堂の中には、もちろん丈六仏がおはします。
では、本堂にあがらせていただきます。と思ったら、特別拝観券は、離れた場所の臨時に設置されたところで購入することになっているとか(汗)
すごすごと段を折り、もう一度本堂から出る。そうだ、出たついでに写真を撮ろう。
屋根は何層も重なって、贅沢なつくりだ。
清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある(ウィキより)。清水寺や石山寺、長谷寺と並び称されるなんて、かなりの観音信仰を集めていたということだ。
それなのに、今では近畿圏内にいる私も全く知らなかった。まるでノーマークだったのだ。和歌山は行動範囲の圏外だったこともあるにせよ。
それにしても柱を支える上の部分の装飾が、すごいことになっている。
この繊細な植物の飾り彫りが複数!
手前の木鼻は例のごとく象さん。