金色堂
奥州藤原氏の初代・清衡により1124年に建てられたのが金色堂。お堂の内側も外側も、全て金箔が貼られていて、その中には、ご本尊の阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩・6体の地蔵菩薩・持国天・増長天と、合計11体もの仏像が陳座している。
金色堂は、それを守る「新覆堂」の中にある。つまりお堂の中に、大切に「金色堂」が安置されているのだ。現在の金色堂覆堂は1965年に建設された。つまり、私よりも年若だ。
鉄筋コンクリート造で、覆堂が新しく作られる際に、劣化の激しかった金色堂も解体修理されている。現在は、この覆堂内のガラスケースに収められ、温度・湿度が調整されているそうで、ピカピカで新しい。黄金もさることながら、漆塗りの柱に螺鈿を貼付けた細工も素晴らしい。
金色堂を支える4本の柱(巻柱)だけでなく、孔雀がデザインされた須弥壇(しゅみだん)、長押(柱と柱を水平方向に繋げている材の事)などにも螺鈿細工がほどこされているのだ。他にも透かし彫りの金具や、漆の蒔絵なども。昭和の技術も捨てたもんじゃない。
内部の須弥壇には清衡、基衡、秀衡、藤原三代の遺骸、それに四代目泰衡の打ち取られた首(首級)が、ミイラとして安置されている。
ところで、もともと建てられた旧覆堂もあって、こちらは木造で室町時代につくられた重要文化財。新覆堂の近く、芭蕉像や句碑とともに、ちゃんと保存されている。
五月雨の 降り残してや 光堂
その近くには、宮沢賢治の詩碑もあった。なんと彼は金色堂に合祀されているとか。1959年の賢治の詩碑除幕式の日だったそうだ。