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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

仁和寺に潜入!

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

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すごいなあ。でかいなあ。柱の太さだけでも感激に値する。

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見上げれば、くらくらするような重厚さ。

そこで門から離れようとしたんだけど、仁王さまのバックにも、なにかが囲われている? 狛犬らしいので、狛犬マニアとしては、ちゃんと見て行かなくては。

 

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ぎゃあああああ!! 怖過ぎる、これは怖過ぎる!! いくら笑ってくれても、全然笑い返すことができない! こんな怖い狛犬さんがいるなんて。正確には「獅子」の方だけどね。

じゃあ、右手の柵内には狛犬さんがいるんだよね? 一応、ご挨拶をせねば。

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ぎゃあああああ!! こちらも相当怖いよ。夜に見たら震え上がるよ。

と、とりあえず、写真だけは撮っておこう。

門の左手で、拝観料500円を払って「御殿」と呼ばれる建物へ向かう。

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壁沿いの小さな門を内側から見たところ↓ 

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白砂が、みごとにきれいに整えられている。屋根に並べられた丸瓦には、桜の意匠がほどこされている。さすがは御室桜で有名な寺院だけある。透かし彫りも繊細で美しい。

 

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皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特長なのだ。

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仁和寺は仁和2年(886年)、第58代光孝天皇によって建立を発願されるも志半ばで崩御、続く宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となった。

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宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となる。皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保っていた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失する。

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応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾される。
さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来た。

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明治20年(1887年)には御殿の焼失があったが、大正時代に再建。
昭和時代に入ると、仁和寺真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録された。

 

あちらこちらに桜の意匠があり、門跡寺院としての品格と可愛らしさが同居している。