今日は一日みんぱく三昧(午後の部 その1)
本館の2Fに企画展と常設展がある。特別展のチケットにそれらの覧券がついているので、今日は一日無料で観覧できることになった。
2Fへの階段の踊り場からは、こんな景色が見える。これは「未来の遺跡」と題されたもの。
「博物館は、未来を作り出す装置です。未来から見れば、この博物館自体が、ひとつの遺跡に見えるかもしれません。博物館の持つ、このような時間を超えるあり方にちなんで、この巨大な石積みの中庭を「未来の遺跡」と名づけました」(説明看板より)
みんぱくの常設は、スケールがでかいのだ。
常設は現在、日本を含む東アジア展示が閉鎖中。アイヌの伝統的家屋「チセ」の茅葺き葺き替え作業のため。でもそれくらいで、今回はちょうどいいボリュームだった。
世界の楽器や言語展示の部屋を抜けて、企画展「津波を越えて生きる―大槌町の奮闘の記録」の部屋へ。
津波の映像と、津波後の「がれき」の実物展示に息を呑む。金属が飴細工のようにたやすくひん曲がった様子に、驚愕するAさん。水の力はとんでもないのだ。
大槌町では、過去から脈々と続いてきた日常の生活やその背景にある文化や伝統が、災害で一時は途切れたものの、前進しようとする人びとの熱意によっ て再び未来へとつながる流れが動き始めています。そして、この動きには、災害を生き延びた人びとの知恵と力の源を認めることができます。
大槌町の被災前の文化を紹介すると同時に、被災直後の人びとの行動や復旧の試みを展示の形でたどることで、将来起こりうる大規模災害に対する備えの必要性を示し、災害を乗り越えて過去から未来へと文化や伝統をつなぐことの意義を考えます。(みんぱくHPより)
鹿子踊の衣装。同じ岩手の「鹿(しし)踊り」とは、ちょっと違う衣装や被り物。左の虎舞のトラの頭が、がれきのなかにもあったのが、さらに悲しい。
でも伝統芸能の力で人々が一致団結し、伝統芸能を見ることで元気をもらえる、というシステムがあることを、彼等は改めて知るのである。
災害当日からその後の様子を、時系列でびっしりと一覧にしてあったけど、それを読む時間がなくて残念。でも震災直後から「だれかが何かをやってくれるのを待っているのではなく、できることから自分たちでやり始める」という地域の人たちの自立意識を知る。
これは「日頃から独立独歩の精神」を持っていた人たちだからこそ。さすがは日本から独立して小さな国家を作った「吉里吉里人」のモデルとなった場所である(井上ひさし著「吉里吉里人」参照)。
民具なども展示されていた。足の部分がすっぽり毛皮で覆われた藁靴を初めて見る。東北出身のAさんも驚いていた。毛皮は油分によって、むしろ水分をはじくので快適なのかもしれない。
次の部屋に入ると、いきなりポップにお出迎えされる。インドの方々。
キュートな神様たち。バララーマ神、スバドラー神、ジャガンナート神。ヒンドゥー教の神・クリシュナと同一視されているらしい。
巨大で細かなレリーフが施された壁は、「モスクの扉」と呼ばれるもの。アラビア語みたいな模様があるけど、インドのもの。ヒンドゥーだけでなく、ゾロアスター教やシク教信者もインドにはいるらしい。
アジアの山車。柱がバーバーポールのよう。
タイのトゥクトゥク
腕のながいひとが持ち上げているのはインドネシアの棺桶。柱上棺(ちゅうじょうかん)というもの。
前の白いひとプラス犬?は守護霊なのに、その背後には死霊が映り込んでいる!!
上橋菜穂子先生の描く精霊の世界!?(ちょっとちがうみたい)
タイでは竹を使って家を作ったりするそうで、棚も器も床もすべてが竹! そういえばAさんが1月に会ったときくださったスナックも「竹虫」という虫を揚げたものだった。竹の寄生虫までも有効活用!!
そういえば千利休も茶道具は竹でまかなってたっけ。柄杓、茶杓、蓋置き、花入れ。
あれっ? このタイの門は鮮烈な既視感(デジャヴュ)が!
説明を読んで思い出した。悪いものが村に入って来ないようにするためのオマジナイ。それは日本にだってあるじゃない! そう勧請縄だ!!
藁で作った飾り?も、なんだか似ている。アジア(世界)はやっぱりどこかで繋がっている。
これは穀物蔵。高床式の校倉造り、ではなく竹造り。ネズミ返しの分厚い板もある。屋根が幾層にも葺かれ、壁面には緻密な模様が描かれているのは、米の精霊の休憩所でもあるからかも。