海に住する山の寺?
境内は緑がたっぷり。
お堂の横に、ちいさな赤いお地蔵様の祠があり、白い案内板には「やる気地蔵」の文字と「何くそ、何くそ、何くそ、と祈る」。
ええ〜っ、うそうそ〜! それお祈りじゃないし〜! ・・・って、これがあることに気づいたのは、これを書いているたった今。よかった現地で気づかなくて。いきなり鼻白んでしまっただろうから。
お堂の屋根には、ちょっと珍しい立方体のデザイン。
さて、由緒から。
聖武天皇が大仏造立平安祈願の為、良弁僧正に命じて建立させ、十一面観音菩薩を安置したのが始まりと言われている。しかし時代がくだり平安時代の末、保延 三年(1137年)に焼失。その後、承元二年(1208年)笠置寺にいた解脱上人貞慶がこの観音寺の廃址に移り住み、草庵をいとなんで「補陀洛山 海住山寺」と名づけ中興された。この後を継いだ慈心上人覚真は先師の遺志をうけ、戒律を厳しくし、寺観の整備に力を尽くした。
それにしても海に住む山寺っていう寺号と、和歌山ならいざしらず、海に面していない山寺で「補陀洛山」って山号が気になるところ。普通は熊野から出航?する「補陀洛渡海」(30日分の食料を積んで、釘で閉じ込められた船で海に出されるやつね)っていう捨身往生だもんね。
インド仏教では、観音の住処は南海にある「補陀洛山(ポータラカ山)」ということになっている。海に住する山である補陀洛山になぞらえる意味があるとか。井上靖の『補陀洛渡海記』という小説にもなっている風習?だ。私は半村良の『妖星伝』で補陀洛(ポータラカ)って言葉を知ったんだけどね。
やはりご本尊が十一面観音さまだからだろうな。
お参りの先に、ちょっと境内をぶらぶらしてみよう。
石灯籠の窓は、珍しい法輪デザイン。
国宝の五重塔。ここのはちょっと変わり種らしい。
現存の五重塔 (国宝)は、建保2年(1214年)慈心上人によって建てられたもので、心柱が初層で止められている点が建築史上有名。寺門は大いに栄えて塔頭 58ヶ坊をかぞえた時期もあったとか。
昭和38年(1962) の解体修理にあたり、五重塔初重の軒下に裳階が復元される。
鬼瓦は奈良風。鎌倉時代に建てられたものだけどね。
青紅葉のきれいな時期だけど、赤い紅葉ともマッチ。
下から見上げると、やはり迫力があるねえ。
ズームして塔の先端にある「水煙」を観察してみる。寺院にしてはモダンな形だなあ。
なんとこの水煙、東大総合図書館前の噴水とほぼ同じ形らしい! 水煙について検索していたら、偶然そのことを知ってびっくり。
どこにどう繋がって来るのか・・・ほんと、「犬も歩けば棒にあたる」。ささやかだけど、調べ物をする楽しさと醍醐味だ。
そして面白いものがもうひとつ。
しかし「ゆるキャラ」と思わせ油断させておいて、意外に獰猛なのかも??
では、いよいよ参拝。拝観受付で400円をお支払いして、本堂に上がらせていただく。