旧・鈴木家住宅は馬宿です。
それでは再び、5月23日の川崎の日本民家園にバックします。
馬喰(ばくろう)や馬方が、馬とともに泊まれた旅籠。というわけで、主に岩手県の南部からの旅人が多かったらしい。
馬をつないだマヤ。木板と地べたの間に大きめの石が挟み込まれ、風通しよくされている。
昔は藁がしきつめられていたらしい穴も塞がれ、平らになっている。
吹き抜けで天井が高い。
これが板暖簾かな? ↓
裏の前栽。
雨水の通る溝がある。
縁側からお座敷がひろがる。
お勝手。今で言う居間。(はからずもシャレに・汗)
となりはさっき見たお屋敷。
帽子のような藁葺き屋根。
側溝付きの宿。
宿だけではなく養蚕もされていたとか。そういえば白洲さんの武相荘も、2Fは子供部屋になる前のもともとは、養蚕の部屋だったそうだ。副業として、さかんにされていた仕事なのかも。
馬の売買が盛んだった頃の、貴重な宿建築。
もう一度、マヤを振り返りながら、
明るい日差しのなかへ。
日本民家園のHPより、旧鈴木家の案内 ↓
奥州街道の馬宿
この建物は、奥州街道の宿駅、八丁目宿の旅籠(はたご=宿屋)でした。南部駒(なんぶごま)を白河(福島県)方面の競り市(せりいち)に出す馬喰(ばくろう=馬商人)や、馬を世話する馬方(うまかた)を泊めた馬宿(うまやど)で、馬は土間(どま)に、馬方は中二階に、馬喰や武士は一階の座敷に宿泊しました。
街道に面した前部は、中二階造として旅籠の営業に当てています。 揚戸(あげど)、格子窓(こうしまど)、日除けの板暖簾(いたのれん)、 深い軒(のき)の出など、宿場の民家の特徴が良く現れています。 後部は通り(とおり)土間に沿って奥に長くのび、左手に家族の生活の場であるチャノマ、カッテ、ニワ、右手に馬をつなぎとめておくマヤが並んでいます。
神奈川県指定重要文化財
旧所在地:福島県福島市松川町本町
建物区分:旅籠(馬宿)
構造形式:前部=寄棟造、茅葺、桁行 10.6m、梁行 6.9m/後部=入母屋造、茅葺、桁行10.4m、梁行5.2m
建築年代:19世紀初期
見どころポイント
土間のマヤには14頭の馬をつなぐことができました。
狭い間口を活かすため、入口は引き戸ではなく開き戸に、正面の板戸は上に収納する揚戸になっています。