佐々木家は見どころおおし。
佐々木家の前をぐるっと回って写真を撮っていたら入り口から、「どうぞ、入ってみていってくださいね!」という声が。案内ボランティアさんらしき3名が、上がり口にある場所で、囲炉裏を囲んでらした。
そういえば中には入れても、上がりかまちから板の間や畳のお座敷にあがれる民家は、最初の原家以外はなかったっけ。
その前に、佐々木家の外観はこんな感じ。
藁葺きなのに三澤家のような板張りの軒が付いている。やはり長野県だから、良質の木材が調達できたのだろう。石の重しも同様だ。
家の下周りにはやはり石が挟まれている。
井戸も健在。荒削りの柱が、がっちり井戸を守っている。
佐々木家の中にあがらせてもらうと、ボランティアさんが連れだって案内してくださる。
風が通って気持ちのいいお座敷だ。それだけではなく、ここからの眺めが絶景! いつまでもいつまでも、ここにいたくなるくらい。その風景はまた。
風呂場なのに風呂桶は?
風呂と言っても、いまならさぞかしシャワールームというところ。桶に水を汲んで体にかけると、中央の隙間から水が流れ落ちる仕組み。シンプルだけど、工夫のある作りだ。
流れ落ちた水は、床下ではなく、もちろん戸外に排出される。
さっきとは別アングルから。ここから外を見ると、絶景が見渡せるんですよ。とくにお月見の夜は素晴らしいそう。
上の突き当たりにはトイレもあって、部屋の中からも、
外からも使えるようになっているとか。外にいても、わざわざ上に上がらなくても済むのは便利だったろうなあ。
上の写真だとわかりにくいので、もう1枚。外にでっぱった木造が厠になる。
小さな石祠は、お稲荷さんだ。
この墓石のようなものは、
墓石にかぎりなく近い、地霊を鎮めるための石塔。鎮めなければならないようなことがあったのかも??(怖)
いまなら人気の建築家が建てた家のモデルとして紹介されそうな、さまざまな工夫に満ちているのは、やはり名主さんの民家だから。紺屋を営んだり寺子屋として使われたり、八面六臂の活躍をした民家だ。
なにしろ「人の土地を踏まなくてもよい」ほど地所が広かった豪農だったらしいから。
もちろん定番の養蚕も昭和35年頃まで行なって、年4回出荷するほどの生業。でも暮らしは質素だったらしい。
昭和になってからは、乳牛を飼って牛乳屋さんや、農村の余剰労働力を利用して農業土木の会社も起こしたらしい。江戸時代から大正までは寺子屋を開くなど、地域の社会貢献事業も行っていた。