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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

佐々木家は見どころおおし。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

佐々木家の前をぐるっと回って写真を撮っていたら入り口から、「どうぞ、入ってみていってくださいね!」という声が。案内ボランティアさんらしき3名が、上がり口にある場所で、囲炉裏を囲んでらした。

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そういえば中には入れても、上がりかまちから板の間や畳のお座敷にあがれる民家は、最初の原家以外はなかったっけ。

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その前に、佐々木家の外観はこんな感じ。

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藁葺きなのに三澤家のような板張りの軒が付いている。やはり長野県だから、良質の木材が調達できたのだろう。石の重しも同様だ。

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家の下周りにはやはり石が挟まれている。

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井戸も健在。荒削りの柱が、がっちり井戸を守っている。 

 

佐々木家の中にあがらせてもらうと、ボランティアさんが連れだって案内してくださる。

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風が通って気持ちのいいお座敷だ。それだけではなく、ここからの眺めが絶景! いつまでもいつまでも、ここにいたくなるくらい。その風景はまた。

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風呂場なのに風呂桶は? 

風呂と言っても、いまならさぞかしシャワールームというところ。桶に水を汲んで体にかけると、中央の隙間から水が流れ落ちる仕組み。シンプルだけど、工夫のある作りだ。

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流れ落ちた水は、床下ではなく、もちろん戸外に排出される。

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さっきとは別アングルから。ここから外を見ると、絶景が見渡せるんですよ。とくにお月見の夜は素晴らしいそう。

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上の突き当たりにはトイレもあって、部屋の中からも、

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外からも使えるようになっているとか。外にいても、わざわざ上に上がらなくても済むのは便利だったろうなあ。

 

上の写真だとわかりにくいので、もう1枚。外にでっぱった木造が厠になる。

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小さな石祠は、お稲荷さんだ。

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この墓石のようなものは、

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墓石にかぎりなく近い、地霊を鎮めるための石塔。鎮めなければならないようなことがあったのかも??(怖)

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いまなら人気の建築家が建てた家のモデルとして紹介されそうな、さまざまな工夫に満ちているのは、やはり名主さんの民家だから。紺屋を営んだり寺子屋として使われたり、八面六臂の活躍をした民家だ。

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 なにしろ「人の土地を踏まなくてもよい」ほど地所が広かった豪農だったらしいから。

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もちろん定番の養蚕も昭和35年頃まで行なって、年4回出荷するほどの生業。でも暮らしは質素だったらしい。

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昭和になってからは、乳牛を飼って牛乳屋さんや、農村の余剰労働力を利用して農業土木の会社も起こしたらしい。江戸時代から大正までは寺子屋を開くなど、地域の社会貢献事業も行っていた。