宇治田原の最初は猿丸神社
今年の読書会の文学散歩は、宇治田原だった。もはや1ヶ月以上前の6月1日。参加者は二十数名という小型バス旅行にはうってつけの参加者数だった。読書会だけにテーマは「白洲正子さんの『かくれ里』を巡る旅/宇治田原編」、という文学散歩なのだ。
とりあえず、リアルタイムでかんたんにレポートしたが、やはり忘却の彼方になるまえに、きちんとした(というよりちょっとマニアックな?)アーカイブスを残しておきたい紀行である。
まだ早苗がそよぐ水田には、空を流れる雲も映っている。遠くには麦秋の黄色い麦畑が続いていた。竜王から大津の大石、南郷、鹿跳橋を渡ったら、もう宇治田原。車のルートなら、滋賀県からは意外なほど近かった。
平安時代の末期、山城国綴喜郡"曾束荘"(=現在の滋賀県大津市大石曽束町)にもともと猿丸大夫の墓があった。それが山の境界争論により、江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所に遷し祀ったものと思われる。その霊廟に神社を創建したのが「猿丸神社」の始まりだ。大石経由で来たけど、両地は関係が深かったのね。
春に私が行った南山城のとなりに宇治田原はあるそうだが、個人が公共交通機関で行くのでは難しいアクセスだったので、一度はあきらめた場所だった。どうしても行きたければ、駅からタクシーか、とんでもない距離を徒歩で敢行するかだったのだ。
山また山また山という場所でも、高速を使えばひとっとび! というわけで、私の南山城行きと比較すると、うそみたいに早々と到着してしまった。
なんと日程表よりもはるかに早く到着してしまい、おかげでボランティアガイドさんの到着を待ちきれない、というくらいだった。
バスから降りて、私はいち早く三十六歌仙のひとり、猿丸大夫の歌碑をカメラに収めていた。
なんか、ぞくぞくするような石碑とカーブだなあ。霊感があるひとが見たら、なにか見えるのかも!? きゃー!
でもはやい午前の時点では、ただの気持ちのいい緑の中だ。
きれいに舗装された上り坂を、ぞろぞろと歩く。
昨日の嵐のような天候が嘘のように晴れ渡ったお天気だった。
おかげで緑も清々しい。
石段下に到着する。「でもここ『裏参道』って書いてる」。→があるので、表参道はさらに向こうらしい。
ということで、表参道へ
青紅葉がきれい。秋に来たら紅葉が見事なんだろうな。
ぜーぜーいいながら、石段を上りきる。
狛犬ではなく烏帽子?をかぶった猿が門番をしていた。ここで落ち合ったガイドさんによれば、これは狛猿ではありません、とのこと。
そうだよね、どちらも口を閉じているので、狛犬と仁王さん特有の阿吽ではない。単なる神社の守衛さん。50年近く前に、猿丸家の血筋の方々が奉納された。
御祭神は猿丸大夫らしいが、このお方はナゾの人物らしく、彼の一切が秘密のベールに包まれているらしい。
猿丸大夫を顕彰する石碑は、昭和3年に京都在住の三宅安兵衛が、遺志建立したもの。御前の石鉢から、祭日には御神水を参拝者に供するらしい。
これを見ていると、なぜか「吉備津の釜」(『雨月物語』)を思い出してしまった。
猿みくじ。あまりにかわいいのでひとつ引きましたよ! 大吉でした♡
こちらは絵馬。猿丸大夫の絵札が描かれた普通の絵馬もあるんだけど、猿の口と輪郭だけの丸い絵馬がたくさん下がっていた。奉納者がご自分で猿の顔を描いてください、という遊び心あふれたもの。
・・・んん? 絵馬に顔を描くって・・・伏見稲荷大社にもあったなあ。狐の顔の絵馬で自由に顔を描き足せるっていうものが。
という疑問をガイドさんに問うと、「ご名答! ここの宮司さんは伏見稲荷大社で修行されていたんです。そこでいろんなアイディアを参考にされたんですよね」
なるほど、「参考」ですか。・・・それ以上はいわぬが花ですな。
とまあ、フックの多い神社で楽しかったのだが、とても気になったのが石灯籠だ。
とくに上部。
なんだかマヤ文明の絵模様っぽいなあ。雑誌『ムー』に投稿したら取り上げてもらえるかも。「猿丸大夫はマヤにつながる宇宙人だった!!」とかセンセーショナルな見出しが付きそう。