宇治田原の伝承〜御栗栖神社(みくるすじんじゃ)へ
宇治田原はいまでこそ辺鄙な場所にあるけれど、昔は奈良、京都(中心部)、近江、伊勢に通じる交通の要所でもあり、伝承や歴史の宝庫である。天武天皇の石碑に集合する。
弘法大師が井戸をつくったり、与謝野蕪村がこの地を紀行文にしたり、「宇治拾遺物語」では大海人皇子(のちの天武天皇)が宇治田原に立ち寄ったり、幕府に反抗した後醍醐天皇が笠置に逃れるルートにしたり、徳川家康が伊賀越えに使ったり・・・と、枚挙にいとまがない。
次のポイント「御栗栖神社(みくるすじんじゃ)」へ行く途中、ボランティアガイドさんが、橋を渡ったところで、史跡の説明をしてくださった。
「いま渡ったのが『犬打川』で、橋は『犬打橋』といいます。その名のいわれは」
鎌倉時代末、幕府に反抗した後醍醐天皇は、都を逃れて笠置山に立てこもったのは有名だ。いわゆる「元弘の変」である。その笠置に逃れる道中で、後醍醐天皇は宇治田原を通 ったといわれており、ちょうどこの辺で一行は野犬に吠えたてられた。逃亡中なのに犬の声で目立ってしまうので、野犬を打ち殺したといわれている。そこで「犬打」という地名になったらしい。愛犬家のみならず、動物好きには怒り心頭の話であろう。
また遠目ながら、美しい茶畑も拝見できた。高級茶には「おおい」がかけられているそうである。
少し歩いて御栗栖神社(みくるすじんじゃ)に到着する。静かでひんやりした空気に、神社独特の結界に入った感じがした。
年を経た木々に、すうっと清められて行くような気分。
鳥居をくぐる。
壬申の乱の際、天武天皇が来られたとき、村人が焼き栗を献上したそうだ。その栗を土に埋めて戦勝祈願された栗が芽を吹いて栗林になり、そのそばに770年になってから社が作られた。それこの神社のが始まりだそうだ。
山城全体の守護神でもあるらしい。
端正な石灯籠の上には、四方にハート♡みっけ。
蓮花の花弁の下は波。火袋から火がでませんように、というおまじない。実はハートも「猪目(いのめ)」といって、火伏、魔除け、招福の意味がある、もっとも古い日本古来の模様のひとつらしい。
交通安全の絵馬は、モノクロでシンプルなのに絵馬の絵柄としては斬新。買うべきだったかなあ。
こちらは開運招福の絵馬。馬という漢字を鏡文字にするのは「左馬(さま)」といわれるもの。「うま」を逆から読むと「まう」になり、めでたい席で披露される「舞い」を想起されるため、「左馬」は縁起のいいおめでたいものらしい。
馬が9匹いて「うまくいく」というシャレも入っている。この神社の絵馬センスは素晴らしい。
巨大な杉は、町の指定文化財だ。
まずは、おまいり、おまいり。