田原天皇社跡
山瀧寺跡(さんりゅうじあと)には、新しいお堂が建てられている。
宇治田原町の荒木地区にある寺院跡である。
周辺では古くから奈良時代の瓦片が見つかっており、山瀧寺の前身寺院が古代から存在していたらしい。
格子の小さなガラス面から中をのぞく。しがみついてのぞいたが、十一面観音さま(町指定文化財)や掛け仏さまを認識できた人はいなかった。ガラス面の映り込みなど、悪条件もあったかもしれないが、「見る」にはムリがあった。いっそ「秘仏」としてくれた方が、あきらめもつくのに。
ここまでで、マンホールに遭遇できずにいたが、ここでやっと出会えた。あちこちから、「マンホールありましたよ〜!!」という声がきこえる。私のマンホール好きに協力していただき、ありがたや、ありがたや。
少し坂をあがり、山に入って「田原天皇社跡」に到着する。
皇子が詠んだとされる歌は「万葉集」に収録されている。
神南備の岩瀬の杜の時鳥(ほととぎす) ならしの丘にいつか来鳴かむ
石(いわ)走る垂水の上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも
伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。
宝亀元(770)年10月、第六子の白壁王が光仁天皇として即位すると、亡き父に「田原天皇」とおくりなしたそうだ。
現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られたが、明治になって大宮神社に合祀された。このあたりは「荒木小字天皇」という地名だが、これは田原天皇にちなんでのことらしい。大胆。
ということで、次のポイントは大宮神社だ。