木山捷平/著『山陰』を読む
話は前後するけれど7月末日はとんでもなく暑かった。とても冷房のない「たぬき亭」で過ごすことは出来ず、軽く冷房をかけた居間で読書をすることにした。
ずっと前にブックオフで100円で購入した『ちくま文学の森』シリーズの1冊『旅ゆけば物語』(単行本)というアンソロジーに入っていた『山陰』という短い紀行文を読んだ。買ったはいいが、ずっと未読だったこの本に、この日ネット検索中に、木山捷平さんの作品が『旅ゆけば物語』に取り上げられているが判明したので、読んでみようと思ったのだ。図書館は休館の月曜日だったしね。
発端は昨年の倉敷行きの車中。倉敷に到着するまでに、古書店『蟲文庫』の店主・田中美穂さんが書かれた『私の小さな古本屋』を読了した。その中で作家・木山捷平さんのことが書かれた部分がとてもよくて、「木山捷平、その名前、覚えておくぞ!」と心に刻んでいたのだ。
本の中では特に、木山氏も田中さんも3月の早生まれで、小さい時にはクラスメイトがなんなくできることがなかなかできずに苦労されているという話に大共感。何を隠そう彼等より若干早いとはいえ、私も3月生まれなのだ。そのときのブログ記事は下をご参照↓
紙魚子の小部屋 パート2(2009秋〜) - 2016年8月25日の記事一覧
ということで、ひもとく『旅ゆけば物語』の『山陰』。
ひもといてびっくりした。
なんじゃ〜こりゃ〜! 面白いじゃないか〜!! この文章の妙味ったら(笑)
文芸、というコトバは彼のためにあるんじゃないか、とめまいがするほどだった。こんな驚きは久しぶり。
夏にぴったりのゆるゆるな内容と、とぼけた文章は、まるでレゲエを聴いているような気分。
なんだかわからないけど、この夏は「木山さんテイスト」で行こうと決意したほどだ。
しかし、よく考えたら、私の中の「木山さんテイスト」が彼の文章に呼応しているので、決意するまでもなく今までもずっと私は「木山さんテイスト」だったのだ。
いや、でも木山さんの足下にも及ばないことにも気付く。
「わたしなぞ」と卑下しつつ、自分をないがしろになんてしていない瓢逸な自我。
じつにとるに足らないことでも、自分の思うこと(それもどちらかといえば自分が損をする)を強引に通すのでなく、相手を傷つけまいとするばかりに、しょーもない嘘をついてまで相手を納得させて自分の思い通りにしてしまう手腕。戦時中も戦後も、つらいこと、くるしいことを山のように経験してきた人の、不思議なちいさな、自分なりの幸せの見つけ方。小林一茶と良寛さまをミックスした印象のあるひとだ。
下の本は品切れで本屋さんでは買えないけど、図書館か古書店でぜひ。
解説が「東海林さだお」さんというのがナイス!
読書感想文を書くには、相当の読解力と力量が入りそうだけど、そんな必要がない夏の読書にはぴったりかもしれない。