以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 はてな版

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

武蔵の国はイチハツがお好き?

またもや関東に戻り、今回はなんと地元、川崎市多摩地区の登戸だ。清宮家住宅。

f:id:simikonokobeya:20170623110239j:plain

民家園で一番古い民家だけど、この家の特徴はすぐわかる。

f:id:simikonokobeya:20170623110251j:plain

そうです、屋根です!

f:id:simikonokobeya:20170623155334j:plain

キャッチコピーも「棟に花が咲く民家園最古の家」だ。

f:id:simikonokobeya:20170623110311j:plain

さっきも見た「芝棟」だけど、ここでは花は「イチハツ」。 なにがなんでもイチハツ。

 

イチハツの語源は、アヤメ科の中で一番早く咲くという意味らしいが、実際はシャガよりも遅れるそうだ。昔は、大風を防ぐと信じられていたため、藁屋根に植えられたという。そういういわれがあったのか。

f:id:simikonokobeya:20170623110314j:plain

年中行事の展示も、中にあるみたい。でも「マンガアライ」って?? 

f:id:simikonokobeya:20170623154938j:plain

奥に横置きされているのが「マンガ」。田植えの道具である「まぐわ」のこと。この日は村人もお休み、道具たちはきれいに洗われ、蕎麦とお神酒をお供えされる。田植えの無事終了を感謝し、秋の豊作祈願も兼ねている。

f:id:simikonokobeya:20170623155044j:plain

素朴な信仰。謙虚だった村人たち。自然とともにある生活。

f:id:simikonokobeya:20170623154958j:plain

その近くにあったこれは?

f:id:simikonokobeya:20170623155558j:plain

これも民家園の貴重な展示物、薪小屋だ。

f:id:simikonokobeya:20170623155615j:plain

横から見たら、本当に掘建て小屋だ。家畜小屋にも見える。

f:id:simikonokobeya:20170623155618j:plain

f:id:simikonokobeya:20170623155621j:plain

そのむこうに見える不思議なお社は、なんだろう? 

f:id:simikonokobeya:20170623155853j:plain

どうやら、お蚕さまの神様を祭った祠らしい。

f:id:simikonokobeya:20170623160101j:plain

へんなカタチの屋根だなあ?

f:id:simikonokobeya:20170623155915j:plain

 でました、またもや芝棟! そしてイチハツ!

f:id:simikonokobeya:20170623160145j:plain

葉っぱは建材だ。

f:id:simikonokobeya:20170623160210j:plain

りっぱな彫り物があるらしいけれど、側面にあるのか判明しなかった。この辺りでは、マジ駆け足でみていたから、説明板もちゃかちゃかと読み飛ばしていたはず。

f:id:simikonokobeya:20170623160258j:plain

そろそろ足がきつくなって来たというのに、この上り階段! でもゆっくり上ってはいられない。まわりはほぼ外国の方ばかりだ。

f:id:simikonokobeya:20170623160300j:plain

 

北村家はお墨付き、菅原家は東北の民家

次は国の指定重要文化財。日本で最も重要な民家のひとつだ。それは建築年代が特定できるから。もちろん建築的にも優れたものであるのは、いうまでもない。

f:id:simikonokobeya:20170622154232j:plain

北村家の建築年は、17世紀後半とか18世紀中頃などアバウトな表記ではない。

f:id:simikonokobeya:20170622154235j:plain

1687だ!! 

 

どうだ、まいったか! というくらい、このことは特筆されることらしい。柱の先端に墨で書かれていたのだ。建てたのは理兵衛という大工の棟梁と、その手下たち。この記録を「墨書」という。

f:id:simikonokobeya:20170622154239j:plain

土壁だけでなく、竹も使われている。向こうには濡れ縁も。

f:id:simikonokobeya:20170622154245j:plain

田畑はたくさんあったにもかかわらず、朝4時起きで夜遅くまで、家族みんなが働き詰めだったそうだ。土地が稲作には適さなかったので、土地があくとかわりばんこに、様々な農作物を作っていたのだ。

f:id:simikonokobeya:20170622154248j:plain

たとえば葉タバコ、たとえばビール麦。それでも暮らし向きが上向くのは、昭和2年生まれの一平さんが会社勤めを始めて、兼業農家になってからだとか。

f:id:simikonokobeya:20170622154251j:plain

 

次の民家はこれ↓

f:id:simikonokobeya:20170623103938j:plain

今回はトンネルすらもくぐっていないのに、またも空間を超えて東北は山形に来てしまった。鶴岡市にあった民家だ。

f:id:simikonokobeya:20170623104208j:plain

やはり農家(肝煎=庄屋や名主のようなもの)だ。

f:id:simikonokobeya:20170623104050j:plain

中には農家の道具がずらり。上には二層三層があり、そこで養蚕を行なっていた。そのために屋根に高窓をもうけて採光を取る、特徴的な作りになっている。

f:id:simikonokobeya:20170623104112j:plain

この高窓を「ハッポウ」という。移築されたからか、ハッポウは山側に(汗)

 

f:id:simikonokobeya:20170623104659j:plain

豪雪地帯なので、冬場には「雪囲い」をしたそうだ。

 

www.nihonminkaen.jp

茨城の民家

大急ぎで見なくちゃならないのに、ついつい足を止めてじっくり見てしまう。でもまだこのときには、上を見る余裕があったようだ。

f:id:simikonokobeya:20170621112318j:plain

ふたたび家の中に雨樋のある民家。ちょっと東北の曲がり家に似ているカタチだ。

f:id:simikonokobeya:20170621112822j:plain

茨城県笠間市の名主の家。名主なので、むろん農家仕様。

f:id:simikonokobeya:20170621112331j:plain

そうか、江戸時代後期には茨城県や栃木県にも曲家(まがりや)があったんだ。その影響を受けた分棟型の曲家もどき。

f:id:simikonokobeya:20170621112859j:plain

茅葺きに土壁、竹のはまった大きめの窓がカッコいい。うっとり。

f:id:simikonokobeya:20170621112346j:plain

もちろん住んでみたら寒いだろうけどね。

f:id:simikonokobeya:20170621112406j:plain

「作り手」をいやが応にも感じさせてくれるんだよなあ。いいなあ。

f:id:simikonokobeya:20170621112410j:plain

厩の地面には傾斜をつけて、オシッコを一カ所にあつめ肥料にしたり、土間を客席にして部屋の間仕切りにスクリーンを張って映画を上映したり、興味深い暮らしのいろいろ。

f:id:simikonokobeya:20170621112415j:plain

しかし雨樋は、けっこう溢れることがあったんだ。茅葺きって雨樋にゴミがたまりやすかったんだ。しかし夜中に樋のごみ取りをするのは辛いなあ。下の写真が、家の中にある2軒分の雨樋。

f:id:simikonokobeya:20170621112723j:plain

朝ドラ「ひよっこ」みたいに農業だけではやっていけないので、炭焼きや薪の出荷もしていた。

f:id:simikonokobeya:20170621112418j:plain

江戸時代には紙漉も。養蚕は短期間でギブアップして、飼育用のカゴを利用して、乾燥芋の製造をしていたらしい。一日中働き詰めの、キビシい生活だったんだなあ。 

f:id:simikonokobeya:20170621112423j:plain

 こちらの梁も、なかなかにユニーク。

f:id:simikonokobeya:20170621112430j:plain

土間に落ちる木漏れ日。

f:id:simikonokobeya:20170621112433j:plain

麦や蕎麦、落花生やサツマイモの栽培もしていたそうだから、蕎麦粉や小麦粉もひいていたのだろう。

f:id:simikonokobeya:20170621112438j:plain

梁、縦横無尽!

f:id:simikonokobeya:20170621112441j:plain

日常生活をいとなむ「ヒロマ」。奥に畳敷きの「ザシキ」が見える。

 

甲州の民家はイワヒバ・ハウス

次は山梨県甲州市の農家だ。再び一般的な民家に戻る。・・・ん? 一般的かな? すごく軒が低い。この軒の低さは、神戸の古い民家「千年家住宅」みたいだ。

 

もともと山の斜面に建てられていたので、風を防ぐためにこんな風になったそうだ。

f:id:simikonokobeya:20170620134035j:plain

「芝棟と土座のある甲州民家」ってあるけど、芝棟って? 

f:id:simikonokobeya:20170620134048j:plain

「芝棟」とは、茅葺き屋根の棟に芝土をおいて棟の固めとしたもの。芝土に生い茂る植物が根を張ることで、棟を固定し風雨への抗力を高める棟仕舞の一手法だ。しかし1960年代以降、茅葺き屋根の消失とともに急速に姿を消した。

f:id:simikonokobeya:20170620134103j:plain

屋根の頂上にはイワヒバを植えてあるらしい。土を入れて屋根が飛ばされないよう、土を入れて重みを持たせてあるのだ。

f:id:simikonokobeya:20170620134137j:plain

なぜイワヒバなんだろう? と気になって調べてみた。

かなり不思議な植物で、分類は苔類らしいけれど、水はけさえよければなかなか長寿を保つそうだ。冬眠したり、乾燥しても仮死状態にはなるけど枯れることはないみたい。けっこう古くから(文化文政の頃らしい)日本人に愛されてきた古典園芸植物だと、下のHPに書いてあった↓

いわひばとは

 

f:id:simikonokobeya:20170620134143j:plain

現在は、雑草や、もしかすれば雑木などもはえているのかも。草取りをするには大変すぎる場所だし、しょうがないか。っていうか、むしろ根を張ってくれるから草はウェルカムなのかも。

f:id:simikonokobeya:20170620183712j:plain

こちらの花は植えられたもの?? 青空にピンクがやさしい。

f:id:simikonokobeya:20170620183735j:plain

遠目で見ると雑草なんだけどね。

 

f:id:simikonokobeya:20170620134149j:plain

反対側に回ると、屋根全体が苔むしている。もふもふの緑の屋根だ。棟には草どころか樹木が!! いいのか? 大丈夫なのか?

f:id:simikonokobeya:20170620184054j:plain

裕福な広瀬家ではあったけど、以外にも質素な暮らしぶり。

f:id:simikonokobeya:20170621105337j:plain

中は土壁で籠や「しょいこ」などがある。本業は農家だけど、農閑期には荷物の運搬業をされていたらしいので、これらは大事な商売道具なのだ。

f:id:simikonokobeya:20170620183257j:plain

f:id:simikonokobeya:20170621105302j:plain

まるで土蔵のように、あちこちに格子の入った窓がある。かろうじて採光をとっている。別に板で仕切ったりしたとは思うけど、冬は寒かったろう。

f:id:simikonokobeya:20170620183332j:plain

天井はすだれのようなもので覆われている。

f:id:simikonokobeya:20170620183411j:plain

ものすごく味のある空間だ。斜めの木が素敵。

f:id:simikonokobeya:20170620183430j:plain

このときには曇っていたけど、こんなに外が明るい。厚い土壁にちいさな格子窓が少ししかないですからね。

f:id:simikonokobeya:20170620183448j:plain

素朴で力強い屋根。17世紀の終わり頃には、家はこんなだったんですね。

f:id:simikonokobeya:20170620183507j:plain

風が強くても、これだけ軒が低ければ安心感がある。

 

「芝棟」にすっかり注意を奪われていたけど、「土座(どざ)」という説明もありましたよね。下は「イドコ」と呼ばれるムシロ敷の居間で、このような床を「土座(どざ)」というのだそう。

f:id:simikonokobeya:20170620183521j:plain

ムシロの下は地面を付き固め、茅束が敷き詰められているとか。

f:id:simikonokobeya:20170620183624j:plain

柱などが土壁で塗り固められた壁面は、かっこいいなあ。

f:id:simikonokobeya:20170620184159j:plain

こちらは山側。ちょっとイングランドの田舎の居酒屋風、かな?

 

 

エキゾチック・ジャパン!

漁村の村を離れて山の中の道を歩く。ざざざあという風と木の詩が、激しさを増してきた。聞いたことが無い鳥の声も聞こえる。鬱蒼とした地域に入ってきた。

f:id:simikonokobeya:20170620103431j:plain

いつしか両側には石垣が続いている。

f:id:simikonokobeya:20170620103449j:plain

山道を歩いていたら、いつのまにか沖縄にきた!?

f:id:simikonokobeya:20170620103454j:plain

石敢當」は南国の魔除けの石碑。南国では台風が激しいので、同じ魔除けでも私の地元のような「勧請縄」なんて繊細なものでは、吹き飛ばされてしまうだろうな。

f:id:simikonokobeya:20170620103500j:plain

 

そしてほどなく目の前に現れたのは、沖永良部島の高倉だ。うわあ、一般的な民家ばかり見てきた眼には、おそろしく斬新な風景だ。となりのソテツも、いきなりの南国情緒をかもしだしている。

f:id:simikonokobeya:20170620103657j:plain

これは住居ではなく食料倉庫だけどね。

f:id:simikonokobeya:20170620103703j:plain

f:id:simikonokobeya:20170620103707j:plain

茅葺きの屋根は、竹材でしっかりとガードされている。

f:id:simikonokobeya:20170620103753j:plain

珊瑚礁岩の礎石に立つ円柱は、食べ物をあさろうとする動物を撃退するため、イジュという毒性のある木が用いられている。足の頭部を鉄板巻きにして鼠などがすべって登れないような工夫も。中は穀物などの貯蔵庫として利用し、出入口には一木でつくった梯子をかけた。

f:id:simikonokobeya:20170620103757j:plain

床下は、倉下(くらんた)と呼ばれる。この場所は子どもの遊び場でもあったようだ。

 

さらに道を急ぐと六地蔵!! いつの間にか関東に戻り、山梨県甲州にいるようだ。一体一体のお地蔵さまの六地蔵はよく見るけれど、道祖神のように一つの石に彫り込まれたのは初めて見た。しかし、これがあるということは・・・。

f:id:simikonokobeya:20170620103804j:plain

六地蔵さまって、墓地の入り口にいらっしゃるんだよねえ・・・(汗)

f:id:simikonokobeya:20170620103809j:plain

 

作田家はゆたかな網元。

関東の村は、イワシの地引き網で栄えた網元の家、作田家からスタートだ。国指定重要文化財

f:id:simikonokobeya:20170620091629j:plain

場所は私ですら知っている千葉県の九十九里。でも漁具小屋は海岸近くにあったので、家は内地にあったとか。だからさほど「漁村の家」っぽくはないそう。

f:id:simikonokobeya:20170620091648j:plain

パッと見、南国の小屋のような開放感のある家だ。

f:id:simikonokobeya:20170620091729j:plain

外観は二棟が軒を接しているようにみえる。と説明にあるが、たしかに。これを「分棟型(ぶんとうがた)」と呼び、クリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋が二つの屋根をつないでいる、とか。

f:id:simikonokobeya:20170620091743j:plain

おおらかだ。

f:id:simikonokobeya:20170620091810j:plain

裏側は一般的な小屋のよう。農家ならタマネギをつるすだろうが、漁村なら干物だろうか?

f:id:simikonokobeya:20170620091909j:plain

中にはいると天井はなく、いきなり吹き抜けになっている。無骨な曲がり木の梁がすごい。

f:id:simikonokobeya:20170620091916j:plain

作田家の主人はダンナサマ、妻はジョウサマと呼ばれていたとか。いいなあジョウサマ。年をとってもジョウサマ♡ ジョウサマに大漁を知らせる漁師は全裸で駆けつけたと記してあるけど、まるで「走れメロス」みたい。って、ジョウサマのもとに全裸の男を差し向けてもいいものなのだろうか? そのへん、漁村はおおらかだったのかも。

f:id:simikonokobeya:20170620092036j:plain

土のかまど。煙突はないので煤けて大変だったろうな。この建物の眼目は、私的には曲がった梁だ。

f:id:simikonokobeya:20170620092243j:plain

海岸近くの松は曲がる性質があるらしい、からかも。ここはまだしもなのだが、のちほどまたご覧いただくことにして。ちなみにここの梁の曲がり具合の造形美は、佐々木家のボランティアガイドさんにも、大プッシュされたポイントである。

f:id:simikonokobeya:20170620092309j:plain

土壁の居間。二部屋それぞれに囲炉裏が完備。

f:id:simikonokobeya:20170620092413j:plain

こちらは「ちゃのま」。家族がくつろぎ食事をとる部屋だ。

f:id:simikonokobeya:20170620092449j:plain

こちらは「かみ」の間。日常的な応接間で、一番重要な部屋らしい。

f:id:simikonokobeya:20170620093037j:plain

松の曲がり材の梁は、造形芸術的。

f:id:simikonokobeya:20170620092643j:plain

あまりに面白くて、見上げながら首を回していた。

f:id:simikonokobeya:20170620093339j:plain

組み合わせるのも試行錯誤の連続だったろうなあ。うまくいったときは、歓声があがったはずだ。

f:id:simikonokobeya:20170620092713j:plain

壁土に埋め込まれた曲がり材も面白い。

f:id:simikonokobeya:20170620092801j:plain

ということで、例によって写真をとりまくり。

f:id:simikonokobeya:20170620092820j:plain

 

おお、これが分棟型(ぶんとうがた)につきものの雨樋だね!↓ 

f:id:simikonokobeya:20170620092431j:plain

普通の雨樋よりはるかに大きくて、大迫力だ。これで2軒分の雨水を受けることができるようになっているんだな。クリの木の半割丸太(はんわりまるた)をくり抜いて雨樋(あまどい)にしている。

 

なんか「剛毅」!といいたい存在感だ。

合掌造りの信越民家

山田住宅も五箇山の合掌造りだ。

f:id:simikonokobeya:20170619102500j:plain

やはり富山で、桂という集落の民家だけど、いまはダムの底の村である。その一軒が救出され、ここに移築された貴重なものだ。

f:id:simikonokobeya:20170619102521j:plain

蓮如上人が泊まったという言い伝えのある建物らしい。壁面は桧皮で覆われているので、なんだか冬場のマタギのよう。

 

次も同じ五箇山の合掌造りだけど、利賀谷(とがだん)という地域にある「野原家住宅」はひと味ちがう。

f:id:simikonokobeya:20170619112041j:plain

しっかりとした藁葺きの庇(ひさし)が付いている。

f:id:simikonokobeya:20170619112204j:plain

利賀谷は冬場には雪で閉ざされてしまう。屋根の雪下ろしのために屋根にのぼるため、常時鎖が下がっていたらしい。また行商が来なくなるので、往復8時間の距離を代表が食料の買い出しにいっていたとか。この集落で暮らしていくのは、きびしいものだったのだ。きびしいからこそ、浄土真宗が篤く信仰されていたのだろう。

f:id:simikonokobeya:20170619113059j:plain

天井の下にはぐおっと曲がった「チョウナ梁」がある。

f:id:simikonokobeya:20170619113117j:plain

斜面に生える樹木は雪などによって根元が曲がり、自然の力に耐えて丈夫なのだ。そのため、合掌造りの梁として使われている。

f:id:simikonokobeya:20170619114100j:plain

それでは、お蕎麦屋さんとして現役利用されている山下家へ。白川郷からまず川崎駅前に移築されて料亭として使われていたのを、さらにこちらへ移築されたもの。

 

f:id:simikonokobeya:20170619114346j:plain

この入り口の庇は板葺きになっている。板葺きの庇は、五箇山白川郷の大きな違いだ。

f:id:simikonokobeya:20170619133938j:plain

先ほどは裏口の縁側から上がり込んだが、本当はこちらが入り口。

f:id:simikonokobeya:20170619134111j:plain

もりそばはあるが、かけそばなはい。

f:id:simikonokobeya:20170619134410j:plain

屋号は「白川郷」。昼間の賑わいがうそのように森閑としている。

f:id:simikonokobeya:20170619134716j:plain

ここで信越の村は終了。

f:id:simikonokobeya:20170619140333j:plain

まだ半分も来ていないことに愕然! 

f:id:simikonokobeya:20170619140340j:plain

いそがなきゃ!

f:id:simikonokobeya:20170619140347j:plain

トンネルを抜けるとそこは「関東の村」だった。