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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

金龍寺(高松御所)

短いけれども急な石段をのぼり、息をきらせて金龍寺へ。両側の松が、いかにも木地師の祖神らしくほほえましい。 おそれおおくも、こんなやんごとなきお方が、こんなところにお住まい下さるとは!という、村人の思いが膨らんで行くのが目に見えるようだ。 そ…

惟喬(これたか)親王の墓所

惟喬(これたか)親王が祀られている墓所と伝わる石造宝篋印塔。やんごとなき方であるという目印の菊紋。錆びた鉄の閂(かんぬき)が取り付けてある。 やはり村人たちにとっては、また木地師の方達にとっては、敬愛やまない方だったのだろう。大河ドラマの『…

大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)

石の鳥居だが、扁額は木製。鳥居をくぐると、一気に時間の層が厚くなったよう。千年を生きたかもしれない樹々の中へ。 とんでもない巨木がいっぱい! 隣の街灯と比較したらわかるでしょうか? 裂けて、虫食いだらけでボロボロなのに、この威厳! 野生っぽい…

ほんものの工芸品

説明するのを忘れていたが、木地師とは、近世末まで手挽き(二人挽き)・ろくろなどの工具を使って、椀・盆などの木地を造った工人のこと。 ろくろ挽きは、平安時代、文徳天皇の第1皇子であった惟喬(これたか)親王が巻物のひもにヒントを得て考えついたと…

木地師の里は別世界!

君ヶ畑に到着。山、茶畑、ススキ。降りた途端にいきなり感動! 実のところ心の中では「キャー! キャー!」とギャルのように黄色い声を上げていたのだ。 太陽の光が、山にかかったり 陰ったり、自然のパノラマが展開する。 ススキの原のお出迎えで、日本昔話…

永源寺へ!

本当は9月に行くはずだったのだ。 近江八幡内の読書会グループが結集するツアーが、今回は白洲正子の近江かくれ里をたどって、永源寺の木地師の里である君ヶ畑に行くということなので、なんとしてもこれは行かなくては!と、初めて申し込んでみた。 ところ…

葛井寺 その6

さあ、ずっと憧れていた葛井寺の十一面千手千眼観音菩薩さまに、やっとお会いできる! 秘仏なので御開帳は毎月18日。月に一度だけのチャンスをやっとモノにできた。もちろん計画的犯行(?)だ。厨子内ひきこもり期間が25年とか33年とか50年とか、ご…

葛井寺 その5

たぶん本日分の投げ銭収入は、充分に得たであろうえびす顔のおじさんと別れて、本堂に上がらせていただく前にも、写真タイム。 南大門の近くの石畳、紫雲石灯籠とまっすぐに結ばれた場所にあった、青銅のりっぱな灯籠。灯籠みたいなのに「青銅鳥居」と呼ばれ…

葛井寺 その4

紙芝居のおじさんのレクチャーは、その後も続いた。ひとくぎりごとに、「お時間、大丈夫ですか?」と旅行者への配慮も欠かさない、気配りの行き届いた方だった。私たちは好奇心旺盛で食いつきがいいので、おじさんも気持ちよく案内ができたことだろう。 「ご…

葛井寺 その3

投げ銭効果は追加公演だけに留まらず、神社仏閣の建築様式のレクチャーにまで及んだ。レクチャー大好きな私たちにとっては、願ったり叶ったりだ。おじさんも抜かり無くコピーした写真や解説の大きなファイルを持っての説明だ。しかも現地で現物を見ながらだ…

葛井寺 その2

奥の南大門のそばから、気になる音が。れんくみさんが、「あの拍子木って、なんやろ??」ととても気になる様子だったが、私は路上観察眼で境内観察に夢中だったので、「ああ、カンカンいってるなあ」と頭の片隅でつぶやく程度だった。 どうも拍子木を景気よ…

葛井寺 その1

私たちが入った門は、「四脚門」。小さいながら、由緒のあるもの。 豊臣秀頼が寄進し、桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財となっている。とはいえ、どこが「桃山様式」なのかは良く分からない。この門の金具の様子なのだろうか?(こうい…

藤井寺の商店街を歩く。

JR天王寺まで来たら、改札を出て「あべのハルカス」を仰ぎ見つつ道を渡る。 近鉄電車の構内に入り、阿倍野橋駅から準急に。「準急」のホームがわからず、運転手さんに聞いて正しい番号ホームにたどりつく。やれやれとロングシートの席に着けば、窓の外には分…

月に一度のチャンスをつかむ。

初めてお姿を拝見したのは、たぶん去年、いや、もしかしたら一昨年だったかもしれない。秘仏を集めたガイドブックを本屋さんで立ち見していたとき、目に飛び込んで来たのがこの方だった↓ (「NHK国宝への旅」 第18巻より) まさしく一目惚れ。どきどきした…

極楽へいらっしゃ〜い♪

じつは西本願寺前で下車したはいいが、龍大ミュージアムの場所がわからず、うろうろしてしまったのだった。西本願寺と道を隔てた総門からしばらくのところに、でかでかとありましたよ。こんなところで迷子になるなんて。とほほ。 でも、まさかこの建物がミュ…

西本願寺と伝道院

レティシア書店に行った後、京都駅まで地下鉄で戻り、市バスで西本願寺前で下車。 とりあえず、西本願寺の阿弥陀堂門をくぐる。 引き返して、写真を撮る。 平成の大修理が終わってから4年ほどしか経ってないので、金がピカピカ。 菊の透かし彫りがカッコイ…

御池にハマった?

もうすぐ龍大ミュージアムで開催中の「極楽へのいざない」展が終わってしまう、という事に気づき、そそくさとチケットを調達して、いざ京都へ。 「極楽へのいざない」は、仏教の行事「お練り」のあれこれをみせていただける展覧会。お練りは、ご臨終のとき極…

10月のカレンダー

10月の池田澄子カレンダー。個人的には林檎の句が好き。でも鰯雲も林檎も季語はどうも9月みたいで。

まだまだ京都御苑。

猿が辻から次の辻までの間で、「迎賓館」の説明を聞く。海外からの首相など、VIP来賓をもてなす館だ。一方、迎賓館の向かいにある大宮御所は、天皇、皇后、皇太子、および皇太子妃の行幸啓の際に宿泊される場所だ。ここはむろん、鋼鉄のセキュリティーだ。 …

まだ京都御苑。

土塀沿いに玉砂利を踏んで歩く。すでに結構な距離を歩いて疲れ始め、私は少し遅れを取りつつあった。なんでみんな、そんなに健脚なの? というより、私が運動不足すぎ? 門だけでなく、塀の瓦もやっぱり菊だ。 とことん、菊だ。お菊ちゃんがいっぱい。 監視…

緑の京都御苑へ

次の新島邸までの通路でもある京都御苑は、京都の住人にとっては憩いの場だ。散歩するには絶好で、雅びな塀伝いを歩くもよし、しだれ桜の名所、美しい松の姿、絶好の大文字ポイントと季節の自然を愛でながら、のんびりとぶらぶらできる。 同志社を出て、大通…

サプライズのオプション付き

「有終館」は、もと「書籍館」と呼ばれた同志社最初の図書館だ。 D.C.グリーンの設計により1887年11月に竣工した。側面から見たらわからないが、上から俯瞰すると十字架の形の建物らしい。 凝ったレンガ積みが美しい。ちなみにこの建物の裏手には、お文庫の…

同志社の建築群は文化財。

ハリス理化学館も重要文化財だ。 B.W.クラーク夫妻からの寄付によって建てられた「クラーク記念館」。 先頃修理が終わったばかりだが、古いレンガを再度ひとつひとつ積み直し、屋根部分だけは新しくふき替えられたそうだ。それは新しいものを作る以上の労力…

同志社大学にて

そそくさとお昼を食べ地下鉄で2駅くらいの今出川まで行き、集合場所の改札前へ。 ツアーには平均年齢60オーバーくらいの参加者が終結。ほぼ2年ぶりに案内人の小嶋一郎先生を間近に見る。相変わらず若々しいが、ぐっと頭に白いものが増えていた。2年の間…

まずは六角堂

京の夏の旅バスツアーから3日後に、またまた京都に来た、同じメンバーの二人連れ。 今回は私たちのアイドル(笑!)、京都おもてなし大使であり「宣京師」の異名をとる小嶋一郎先生の案内で、「八重の桜」プチウォークツアーだ。人気の先生なので、申し込ん…

「あまちゃん」はおわらない。

毎日ガツガツと見ていた「あまちゃん」が終わってしまった。10月からは「あまちゃん」のない日々が始まってしまったが、意外なほど「あまロス」には陥らなかった。一日三回見て、やっと満足するくらい「あまジャンキー」だったのに。しゃぶりつくした、と…

ラストは世俗的に。

大覚寺は、リピーターになりたい神社だったが、それも慌ただしく後にして、残る一つは二条城近くにある「御金(みかね)神社」だ。 バスの窓から見た二条城↑ 「御金神社」は、いままで見た中で、一番小さな神社かもしれない。鉱山や鉱山資源の金属全般をつか…

大覚寺に酔いしれる。

しかし心経宝塔を出てからが、大覚寺の魅力炸裂なのだった。まず、昨日アップした写真のように、境内の景色の素晴らしさったら! また秋の始まりの、太陽がゆっくりと下降していく時間の、光の斜め加減といったらもう! 石仏然り、 護摩堂然り、 池の端然り…

旧嵯峨御所大覚寺門跡

御香宮(伏見)から大覚寺(嵐山)までは小1時間の移動になる。午睡もできるが、がんばってバスガイドさんの話も聞いた。嵐山方面は不案内なので、なかなかに興味深い。それでも1週間たたずに、ほぼ忘れているのが悲しい。メモしておくべきだった。写真を…

御香宮神社

やっと中に入れました。 御香宮は創建年不詳。 HPによれば、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、 清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。ということだ。もとの名は『御諸神社』。名前が変わらな…