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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

葛井寺 その6

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 さあ、ずっと憧れていた葛井寺十一面千手千眼観音菩薩さまに、やっとお会いできる!

 秘仏なので御開帳は毎月18日。月に一度だけのチャンスをやっとモノにできた。もちろん計画的犯行(?)だ。厨子内ひきこもり期間が25年とか33年とか50年とか、ごくまれには「永遠」という方もいらっしゃるので、まだしも庶民的なお方だ。

 お内陣にあがらせていただき、拝観料500円をお支払いし、パンフなどをいただく。観音さまは、私が思っていたより大きかった。厨子内の暗闇からぼおっと浮き上がられているようで、とても神秘的。面前での空気感も荘厳なのに優しい。ちょっとその場を離れがたいような吸引力のある空気だった。

 実はネットのウワサでは「暗くて距離があり、よく見えない」とあったので少々不安だったのだ。小さな仏様でお内陣との間に柵があり畳敷きからしか見られない、もしくは厨子内があまりに暗くて、さっぱり様子がわからない、という苦渋も味わったことがあったからだ。

 それらに比べたら、ずっと普通に見られた。持物をもった手の先は、いくつがが暗闇に溶けていたけれど、それは裏手で見られる解説ビデオを見ればハッキリわかる。しかもアップで見られた。私の好きな(たぶん)髑髏杖の髑髏が、丸顔の「ダンボー」(@「よつばと」)みたいに可愛らしかったのも確認できた(笑)

 それにしても天平仏が、創建当時から無傷で保存されているなんて、本当に素晴らしい。しかも、この観音さまは、脱活乾漆造(だつかつかんしつづくり)なので、金製よりもろい素材でできているにも関わらず、である。脱活乾漆造とは、粘土の芯に漆で布を張り付け、最後に粘土の芯を抜き取るという技法だ。奈良の唐招提寺の乾漆立像と双璧をなす傑作とされているそうだ。この保存状態を考えると、月に一度でも多いくらいかもしれない。

 ふつう千手観音像は、合掌している手と合わせて42本の手を持っているのが一般的だ。看板に偽り無く小さな手を1000本持っている観音像は、葛井寺の観音像のほかには唐招提寺の観音像、ほか数例しかないそうだ。しかも、そのひとつひとつに目が描かれている。手は合計すると1043本あるらしい。この丹念な仕事ぶりは、今では想像もできないような、当時の信仰のありようを思い知らされる。

 名残惜しくビデオを見た後、再度観音様を見てから葛井寺を出た。商店街で食料を買ったり、「おかしのまるしげ」で「今話題」の「呼吸チョコ」を買って藤井寺の駅に戻る。夕方には早い時間だったので、近鉄もJRも電車はオール着席でき、いつものようにそろって爆睡しながら帰途についた。

 帰宅したらノンストップの家事が待っていたのだが、れんくみさんにいただいたお饅頭のほどよい白あんの甘さに、ずいぶん励まされた。千鳥の焼き印もかわいかった。

 その夜、たまたま白洲正子さんの『私の古寺巡礼』をアトランダムに読んでいた。大阪だったか奈良だったかの、すごく辺鄙なお寺に白洲さんが出向いたことがあった。彼女は、その閑散としたお寺の仏像を見たくてはるばる訪ねたのだが、なんとそこのお坊さんは「できません」と答えたのだ。「雑誌の取材だから」と諦めきれず頼み込んでも、彼はがんとして聞き入れなかったそうだ。

 その後、白洲さんは残念がりながらも、「それは正しい」と引き下がる。信仰というものは、そういうものだと。たとえご本尊の姿がみえなくとも、甲斐甲斐しくお寺や神社を守る村人たちこそが、本当に豊かな信仰を持つ人なのだろうと。これはけっこうな衝撃だった。

 がつがつと、なにがなんでも仏像を見たがる人たちや、クレームを恐れて、あるいは観光客を呼び込む為に仏像をむき出しにしてしまう寺院も、白洲さんにとっては、さぞかし苦々しいものだろう。直感的に真実を見抜いてしまう白洲さんの文章を、改めて読んでみたくなった。

 そして私は葛井寺に行った3日後、まるで連続するように「白洲正子をめぐるかくれ里旅イン永源寺@君が畑」を訪ねることになるのだ。