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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

「あまちゃん」はおわらない。

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 毎日ガツガツと見ていた「あまちゃん」が終わってしまった。10月からは「あまちゃん」のない日々が始まってしまったが、意外なほど「あまロス」には陥らなかった。一日三回見て、やっと満足するくらい「あまジャンキー」だったのに。しゃぶりつくした、ということなのか。いえいえとんでもない。あんな密度の高いドラマ、よほど博識でマニアックでなければ、とても味わい尽くせませんよ。

 なんていうか、終わった気がしないのだ。普通はスゴいクオリティの朝ドラ(大河でも同様)が終わると、脱力がハンパなくヌケガラになるけど、今回「ああ〜、おわってしまったぁ〜」という実感があんまりない。

 相変わらず、「どこかで」アキちゃんは何かに向かって走っているだろうし、魔性を後ろ手にしつつユイちゃんは「リアス」でバイトしている。夏さんはゆっくりと老いていきながら、生きている忠兵衛さんの写真に手を合わせている。春子さんは、パワフルなマイウェイぶりで正宗さんを振り回し、プロフェッショナルな鈴鹿さんは、プライベートでは相変わらずめんどくさいけど可愛い。そして、それぞれにカッコイイ。

 このドラマではカッコイイっていうのが、最優先だった。アキちゃんのエンジンは「かっけぇ」をエネルギーにして疾走する。最初から最終回まで。彼女がユイちゃんと親友なのは、彼女にとってユイちゃんが「かっけぇ」から。夏ばっばを初めてみたときから、彼女の「かっけぇ!!」はどんどん増えて行き、その分、アキちゃんは正比例してパワフルになる。

 太巻さんが、アキちゃんと会って間もない頃、「マメリン(アメ女のセンター)も、奈落にいた頃はキラキラしてたんだけどねぇ」とつぶやいていたことと、最終近くにユイちゃんが「私はここで、アキちゃんとふたりでやっていきます!」と宣言したとき、「・・・カッコいいね」と答えたことは、なにかしらの重要なフックになっているはずだし、彼自身が「少年の心と商売人の心を持っている」ことも興味深い。

 「あまちゃん」が喝采を浴びたのは、息苦しく生きにくい世の中の空気に、こっそりアンチを言い続けてくれたからのような気がする。

「これダメ、あれダメ。こうしなきゃ、こうでなきゃ。ゼッタイこうだから。世の中そんな甘くないよ。もっとがんばらなきゃ。つぎはもっと。効率よくムダ無く。」 そういうことたちからの解放。

 マニアックなギャグを一身に受けて立った花巻さんは宣言する。「分かるヤツだけ分かればいい」と。「そんなマニアックなギャグ、だれがわかるのよ!?」と突っ込まれるのを知っているけど、マニアックさこそが彼女の存在意義だから、ハッキリというのだ「分かるヤツだけわかればいい」と。私は私の生きたい様に生きると。

 そしてもちろんその自由な生き方は、一人では出来ない。つながってる人がいてこその豊かな自由なのであり、孤独の中で自由は負のベクトルを持ってしまう。それを具現するのが、足立家の奥様よしえさんだが、家出から戻って許しを乞い、かつ枝さんを「めがねめがね会計ばばあ」と言ったと同時に北三陸の住人になるのだった。

 「あまちゃん」は、現代の人々に必要ないろんなものを、ほとんど言葉にせずに「こっそりと」、でも心の奥底まで届けてくれたニューウエイブなドラマだった。「あまちゃん」に関わった人たちすべてに、ありがとうといいたい。ブラボー、「あまちゃん」!!