惟喬(これたか)親王の墓所
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惟喬(これたか)親王が祀られている墓所と伝わる石造宝篋印塔。やんごとなき方であるという目印の菊紋。錆びた鉄の閂(かんぬき)が取り付けてある。
やはり村人たちにとっては、また木地師の方達にとっては、敬愛やまない方だったのだろう。大河ドラマの『平清盛』で、讃岐に流された崇徳院が、村人に敬愛され穏やかな日々を得たことを思い出した。
大皇器地祖(おおきみきじそ)神社の鳥居がのぞまれる。
目を移せば、ここで暮らす人々の家並みが広がる。
悲劇の人物が、判官びいきな日本人に人気がある故かどうか、惟喬(これたか)親王の墓、といわれるものはあちこちにあるらしい。想いを寄せる人たちの数だけ墓ができる、ということか。それもまたよし。どれが本物かなんていう詮索は無意味だ。
次は、隣にある金龍寺へ。惟喬親王の住居であったらしく「高松御所」と呼ばれてもいる。いかにも木地師の祖神らしく、門柱のように大木が左右に伸びている。