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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

まだまだ京都御苑。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

猿が辻から次の辻までの間で、「迎賓館」の説明を聞く。海外からの首相など、VIP来賓をもてなす館だ。一方、迎賓館の向かいにある大宮御所は、天皇、皇后、皇太子、および皇太子妃の行幸啓の際に宿泊される場所だ。ここはむろん、鋼鉄のセキュリティーだ。

 京都御所の角近くまで来る。ここにあるのは建春門だ。「建春門」は皇后陛下や皇太子殿下が通る門になるらしい。通る場所まで決められているなんて、不便でめんどくさいねえ。

 建春門院は、後白河天皇の寵愛を一身に受けた后、平滋子の後の名だ。滋子は美しく聡明で気丈な女性だったので、平家と後白河天皇をバランスよく結びつける絆になった。彼女亡き後、両者は敵対関係になってしまう。

 大河ドラマ平清盛』では鳴海璃子が演じた。ちなみに後白河天皇役は松田翔太だ。美しくかっこいい滋子にぴったりな、キュートな門だ。

 次の辻で左折し、迎賓館と大宮御所の間を歩く。

 御所内の自転車道は真ん中にある↑ 

 もちろん一列でしか走れない↓

 中ほどまで来ると、正面に大文字山が見える。

 小嶋先生によれば、ここは五山の送り火を見る絶景ポイント。しかも案外穴場で、それほど混み合ってもいないらしい。

 突き当たり左側には、鬱蒼とした「梨木神社(なしのきじんじゃ)」がある。

Wikipedeiaによれば、

 明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)・三條實美(さねとみ)父子を祭神とする。境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水の一つとされる。京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のうち、現存するのはここだけ。 また境内には約500株の萩が植えられており、別名「萩の宮」とも呼ばれている。

 小嶋先生によると、比叡山から大山崎へと貫く「おいしい水」の地下水脈があり、それがこのポイントで豊かな名水になっているのでは、ということだった。出町柳にもおいしい水の井戸がたくさんあるので、必然的においしい食べ物屋さんが多い、という話をテレビで見たが、同じ水脈なのかも。

 梨木神社を右手に折れ、雑草の茂る小径を歩く。御所では雑草までが、なにかしら床しい。可憐な花をつけた名も知らない植物なども見かけた。

 ほどなく寺町通に抜け出せる、寺町御門に到着する。

 ここで京都御苑とは、さようなら。道路を渡り、再び歩き出す。ほどなく新島襄の旧邸に到着。

 

 外観はいわゆるコロニアルスタイルのめいっぱいな洋風建築なのに、造りの基本は和風寄棟住宅という不思議さ。

 台所はシステムキッチンで、かまどや木製シンクが一列に並んでいる。それも八重の身長に合わせてつくられたとか。きわめつけが洗い場の横に、室内井戸が!! 水を汲むのに外に行かなくて済むよう、配慮が行き届いている。まさしく㐮の愛ですね。

 八重は㐮の愛を一身に受けたけど、他のひとたちには性格的にあまり好かれなかったようで、養子にも、お姑さんにも、家政婦さんとも疎遠になり離れて行った。八重は日清・日露戦争のときに、従軍看護婦(従軍といっても国内での仕事)のリーダーとして活躍した。実は若い女性が兵士と接触すると、兵士の風紀を乱す可能性があるため、従軍看護婦には「年寄りで、美人で無い者」が選ばれたらしい。

 というネタを披露する、八重にはちょっとイジワルな小嶋先生。 

 ここで現地解散となり、各々が帰途へと三々五々散ってゆく。私は京阪の神宮丸太町駅へ。駅までの道中にみた鴨川が、切ない美しさだった。