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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

まだ京都御苑。

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土塀沿いに玉砂利を踏んで歩く。すでに結構な距離を歩いて疲れ始め、私は少し遅れを取りつつあった。なんでみんな、そんなに健脚なの? というより、私が運動不足すぎ? 

 門だけでなく、塀の瓦もやっぱり菊だ。

 とことん、菊だ。お菊ちゃんがいっぱい。

 監視カメラもそこここに。

 実は塀にはセンサーもついていて、塀に近づくだけで警報が鳴るらしい。小嶋先生によれば、しょっちゅう鳴っているそうだ。今日は一回も聞かないけど、こんなことは珍しいくらいだそう。

 やっと御所の角まできた。ここは北東(艮=うしとら)の方角なので、鬼門にあたる。だから築地塀の角を欠いて、日吉山王社の神のお使いの猿を祀ってある。金網が貼ってあるので見えにくいけど、烏帽子をかぶり、御幣(ちゃんと半紙が付いている)をかついだ木彫りの猿だ。

 この猿が 夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられているそうだ。

 幕末には、尊皇攘夷派の姉小路公知が何者かに襲われた「猿が辻の変」はこのあたりで起こった事件。三億円事件同様、いまだに犯人がわからない未解決事件だ。

 警報は鳴らないが、皇宮警察本部の車が走り、徒歩の警備員もいらっしゃった。日々万全の警備。

 さて、猿が辻を折れてしばらく後に、学習院跡があり説明を聞く。

 江戸時代も終わりに近づく頃、公家、および御所の役人たちとその子弟の教育機関として出来た。公家の公家による教育振興に取り組んでから7、80年もかかって、やっと幕府のお許しが出たようだ。

 新しい御苑の名所、「ど根性桜」。枯れた松の幹から桜が成長しているのだ。「学習院横の桜松」、と呼ばれているらしい↓