まだ京都御苑。
土塀沿いに玉砂利を踏んで歩く。すでに結構な距離を歩いて疲れ始め、私は少し遅れを取りつつあった。なんでみんな、そんなに健脚なの? というより、私が運動不足すぎ?
門だけでなく、塀の瓦もやっぱり菊だ。
とことん、菊だ。お菊ちゃんがいっぱい。
監視カメラもそこここに。
実は塀にはセンサーもついていて、塀に近づくだけで警報が鳴るらしい。小嶋先生によれば、しょっちゅう鳴っているそうだ。今日は一回も聞かないけど、こんなことは珍しいくらいだそう。
やっと御所の角まできた。ここは北東(艮=うしとら)の方角なので、鬼門にあたる。だから築地塀の角を欠いて、日吉山王社の神のお使いの猿を祀ってある。金網が貼ってあるので見えにくいけど、烏帽子をかぶり、御幣(ちゃんと半紙が付いている)をかついだ木彫りの猿だ。
この猿が 夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられているそうだ。
幕末には、尊皇攘夷派の姉小路公知が何者かに襲われた「猿が辻の変」はこのあたりで起こった事件。三億円事件同様、いまだに犯人がわからない未解決事件だ。
警報は鳴らないが、皇宮警察本部の車が走り、徒歩の警備員もいらっしゃった。日々万全の警備。
さて、猿が辻を折れてしばらく後に、学習院跡があり説明を聞く。
江戸時代も終わりに近づく頃、公家、および御所の役人たちとその子弟の教育機関として出来た。公家の公家による教育振興に取り組んでから7、80年もかかって、やっと幕府のお許しが出たようだ。
新しい御苑の名所、「ど根性桜」。枯れた松の幹から桜が成長しているのだ。「学習院横の桜松」、と呼ばれているらしい↓