旧嵯峨御所大覚寺門跡
御香宮(伏見)から大覚寺(嵐山)までは小1時間の移動になる。午睡もできるが、がんばってバスガイドさんの話も聞いた。嵐山方面は不案内なので、なかなかに興味深い。それでも1週間たたずに、ほぼ忘れているのが悲しい。メモしておくべきだった。写真をたよりに覚えている事だけ。
桂川の左岸、嵐山〜松尾橋間の堤を「罧原(ふしはら)堤」と呼ぶ。変わった字面だが、藤原氏ではなく秦氏によって作られた。
この堤の原型は、平安京より前に秦氏が一帯を支配していた6世紀頃にさかのぼる。当時葛野川と呼ばれていた桂川は、頻繁に洪水を繰り返し、それを制御するために造られたそうだ。
梅津の梅宮大社と松尾大社の近くを通りかかる。共に古社で酒造の神として有名だ(梅宮大社は安産の神社としても有名)。酒のあるところ美味しい水があるのは、伏見に見る通り。松尾大社には霊泉・亀の井があり、酒の元水、延命長寿の水として信仰されている。
嵐山に入る。先日の氾濫が嘘のように穏やかだ。それでも土をかぶった泥だらけの葉っぱや、川と平行に倒れている草木など、洪水の爪痕は残っている。とてものどかな場所でバスが駐車場に入り、大覚寺に到着。知らない場所、来た事のないお寺なので、修学旅行気分。
大覚寺は、正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」という。平安時代初期に、嵯峨天皇とご成婚された檀密、もとい檀林皇后との新居、離宮嵯峨院が大覚寺の前身だ。
大覚寺とは
嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫を開山として開創した貞観18年(876年)から。その後、弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。
明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院であるほか、「いけばな嵯峨御流」の家元でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名らしい。
まずは、紅白の萩がお出迎え。
次いで、なだらかな山々と広がる空、それを映す湖のような蓮池に、シャッター音が続出。
石垣に水路に格子の入った透塀(すかしべい)、そして奥ゆかしい彼岸花。
あっ、池の桟橋に(たぶん?)カモが?! かわいい、かわいい、という声があちこちで。
さて大覚寺の今回のメイン、心経宝塔に入っていくだが。
基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置する。真珠の塔にお願いすれば、なんでも願いがかなうとか。真珠の塔が、霊感商法で登場する壷みたいに見えた、とんでもなくバチアタリな私には、願いは叶えられそうにないだろう。
その前に、弘法大師空海ゆかりの札所である四国八十八ヶ所霊場の、お砂踏みをする。とりあえず、この夏(9月末まで)だけ?のスペシャルイベント。
各霊場ごとのご本尊を描いた軸がかかり、その前にはその場所からはるばるやってきた砂の入った座布団がある。座布団を踏んでお参りしたら、一巡すると八十八カ所のお遍路さんと同じ御利益があるとか。
んんん〜。なんかおいしすぎる話だ。さほど気は進まないながらも座布団を踏みつつ、軸に手を合わせる。
いやいや、おいしすぎるとは言ったが、実際にやってみると、なかなか修行めいている。決して楽ではなかった。途中リタイアしようかと思ったくらいだ。うそだけど。地道に四国へ進撃されている巡礼の方々には申し訳ないくらい、さっさと八十八カ所まわってしまった。楽だけど、退屈だった。やはり愚直に現地訪問する方がありがたい(そして面白い)に決っている。