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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

御香宮神社

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 やっと中に入れました。

 御香宮は創建年不詳。

 HPによれば、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、 清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。ということだ。もとの名は『御諸神社』。名前が変わらなければ、お笑い芸人の篤い信仰が得られたかも。水で有名だが、御利益は安産だ。もはやまったく縁が無い案件だ。

 その後、豊臣秀吉が伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請したが、徳川家康が元の地に本殿を造営したとか。なるほど、だから伏見城の大手門を寄進したのか。

 こんな灯籠が両脇にずらり。

 門なのに屋根が豪華! しかし、ここには入れず。

 拝殿に到着。

 おお!

 おおお!

 ここは日光東照宮か!?といいたいような、絢爛豪華な極彩色だ。これは平成になって、ほぼ400年ぶりに復元されたものらしい。

 テーマは真ん中の「龍」。向かって右は『鯉の瀧のぼり』を彫刻し、左はこれに応して、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写している。「滝を登りきった鯉は龍になる」という伝説が、中国にはあるのだ。

 『日本建築集中講義』での藤森照信さんの言によれば、安土桃山時代のセンスは、日光東照宮みたいなサイケな極彩色だったらしい。しかし江戸時代にはいってまもなく、財政的な理由から「カネのことは考えるな的これでもか!」な装飾が消えて行くので、現存するものはあまりないらしいんだけど。

 家康が本殿を建立し、江戸時代に修復が必要になったら、徳川御三家、ときには幕府直々に御寄進を仰いだらしい。有力者がバックにいると違うね。

 てっぺんの丸瓦や懸魚(破風板の下に取り付けられた装飾用の材)にも三葉葵が燦然と輝いている。スポンサーは大事にしないとね。

 伏見の七名水の一つ「石井の御香水」をちいさなペットボトルに分けていただき、少し飲んでみる。まろやか。

 その後、パンフレットにあった「名水百選」のひとつ、伏見の名水「御香水(ごこうすい)」で淹れた冷茶と、伏見の老舗「富英堂(とみえいどう)」の銘菓「酒まんじゅう」を、小堀遠州(こぼりえんしゅう)ゆかりの石庭を眺めながら召し上がるのを楽しみにしていたのだが・・・。

 宮司さんのお話が終わるまで自主的に「おあずけ」していたが、なかなか終わらない。だが時間が迫るので、こっそりぱくぱく。お話が終わった頃には、私たちのテーブル以外の方々は、銘菓「酒まんじゅう」も名水の冷茶も、すでに腹中、一斉に境内へと退出さた。私たちは給食後の休み時間みたいに取り残される悪夢が甦るのだった(汗)

 お庭を見つつ、静かにゆっくりといただくつもりだった礼儀正しいれんくみさんは、大急ぎでお腹へ収めてらした。私はお庭を見つつ、名水の冷茶を味わおうと思っていたのが、急遽ゴクゴクと。それでも「こんな美味しい冷茶は初めてじゃわい」と大感動だった。

 茶の湯の本には「名水のお茶はさほどおいしくない」ってあったので、期待してなかったのに、見事、うれしい裏切りにあった。

 そのまま、安土桃山の極彩色の意匠に感嘆している内に時は過ぎ、その建物が一体何かわからないまま、集合場所へと急いだ。

 で、今現在、大チョンボをしでかしたことに気づき、愕然としている。

 本殿見るの忘れてたー! 仁和寺の和尚ではないか・・・