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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

ほんものの工芸品

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 説明するのを忘れていたが、木地師とは、近世末まで手挽き(二人挽き)・ろくろなどの工具を使って、椀・盆などの木地を造った工人のこと。

 ろくろ挽きは、平安時代文徳天皇の第1皇子であった惟喬(これたか)親王が巻物のひもにヒントを得て考えついたといわれている。惟喬親王はご長男にも関わらず天皇になれなかったので、都を逃れて隠遁した方。蛭谷・君ケ畑に隠れてこのろくろ挽きの業を土地の人々に伝授した、と伝わっている。史実は史実で別にあるようだが、この伝承はロマンチックだ。白洲正子さんも、「私は世にいう史実とか史料より、そちらの方を信じたいと思う」(「かくれ里」より)と書かれている。

 この縁起により、惟喬親王がろくろ業の祖神として、君ケ畑にある大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)と蛭谷(ひるたに)にある筒井神社(つついじんじゃ)両神社に祀られている。このふたつの神社は、全国の木地師の発祥地として知られている。

 作業所を出て、自動車がやっと通れるくらいの小径を歩く。

 傾斜のある屋根は、雪が深い地域特有のものか。もとは茅葺きだったのだろう。たしか木之本の奥の方にも、こんなお家がたくさんあったな。

 屋根の色合いがそれぞれなのも、お洒落だ。

 木地師の方のお宅におジャマして、展示即売されている広間に上がらせていただく。掛け時計までもが木製。

 高価な木製うちわを扇いで、「贅沢な風」にうっとりしたり、木目の美しさに感嘆したり、肌触りを確かめたり。5桁のお値段なので、おいそれとは買えないのが残念だ。

 その日の所持金5千円余の私に購入することは不可能だが、すっと開けられる小箱などは、さすが職人業だと感心する。いままでに味わったことのない、気持ちのいい開け心地だった。手作りならではなのだろう。

 いや、私にも買えるお値段のものもあった! 絵馬が500円也。人力で回すろくろを使っての器作成する木地師たちの絵柄だ。昔はこうやって木の器を作っていた。今でも人力が電動に変わっただけ。そのアナログさが素敵。

 

 床の間に祀られたカラフルな大皇器地祖(おおきみきじそ)神社の掛け軸。作品が供えてあるところが、いかにもだ。

 ということで、次の目的地はもちろん大皇器地祖(おおきみきじそ)神社だ。