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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

葛井寺 その4

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 紙芝居のおじさんのレクチャーは、その後も続いた。ひとくぎりごとに、「お時間、大丈夫ですか?」と旅行者への配慮も欠かさない、気配りの行き届いた方だった。私たちは好奇心旺盛で食いつきがいいので、おじさんも気持ちよく案内ができたことだろう。

 「ご存知のように、葛井寺のご本尊は千本の手のそれぞれに目がついていますでしょ。だから千手千眼観音というのですが、漢字の『看』という字とも関係があるんですよ。ほら、看護の『看』という字は手と目でできているでしょう? この字は『悪い方へ行かないよう、気をつけて世話をすること』で、ただ見るだけの目ではないんですな」

 なるほどなー。

 「奈良に信貴山という山があって、そこに毘沙門天さまがお祀りされてます。今から1400余年前、聖徳太子が、物部守屋を討つために、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をすると、毘沙門天さまが出現され、太子はその御加護で守屋に勝ち、お礼に自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建されました。

 さて、その毘沙門天さまを守護するのがムカデ。毘沙門天は金銀財宝の神様でもあり、ムカデを見ると金運に恵まれるといいますよね。なんでムカデが金運なのかって? 『お足』がいっぱいですから!」 

 なるほどー(爆笑)

 ところで弘法大師堂の前にある香炉というか、お線香をたてる青銅の巨大な器には、エンヤコラと何者かが支えた上部にレリーフが施されている。

 このコピーを広げ、中国の親孝行話の定番、「二十四孝」の一人に数えられる孟宗の解説を始めたおじさんに、「あ、これ、知ってる!」と。

 孟宗竹の孟宗だ。先日行った御香宮神社の表門に蛙股の意匠で使ってあった。れんくみさんも、タケノコを見て思い出した模様。おでかけで得た知識がリンクするとうれしい。

 

 最後に「もっと古いもの、あまり知っている人のない不思議な石がここにはあるんです」と、案内してくださったのは、本堂の横の穴だらけの石だった。

 これは「盃状石」というもの。五穀豊穣や子宝祈願のためにつくられたらしい。とても気になって、あとでウィキペディアで調べてみた。

 世界中で見られ、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた。女性シンボルと関係があるとされ、現在でも病気の治癒や子宝に恵まれる事を願って信仰されている。

 日本では丸石(道祖神の一種)や手水石の近くで見つかる事が多いという。日本の盃状石は縄文時代から作られている。元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。古墳時代には古墳の棺に彫られた。

 鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。

 日本では明治時代に坪井正五郎鳥居龍蔵によって考古学的な研究が行われたが、その後の考古学者の興味を引く事はなく、あまり研究は行われてこなかったようである。最近は民俗学の学者が研究している。

 これはやっぱり気になるものだ。たぶん私の民俗学的興味は、高校時代の半村良諸星大二郎好きから培われたものなのかも。民俗学が土台の伝奇もの、好きだったもんなあ。