史跡を歩く。
バスまでたっぷり時間があるときには、歩くことにする。というのが、子どもの頃からの私の方針だ。日曜ごとにバスを乗り着いて図書館通いをしていた私は、ときには1時間に1本のバスに乗り遅れたりすることもあった。選択肢は3つ。
その1。今もあるバスターミナル横の「初雪食堂」でうどんを食べて時間をつぶす。
その2。借りた本を読んで時間をやり過ごす。
その3。時間が許す限り、次のバス停まで歩く。これをすると、次のバス停に行き着く前に無常にもバスが通り過ぎて行くこともあるのだけれど。
でも、歩くと面白いものがいろいろ見られるということも、私は子ども時代に覚えたらしい。
クローバーに混じるタンポポの綿毛や、
タンポポの綿毛だらけの野原や、
マドンナのように美しい椿や、
観賞用に植えられたらしいアザミなど。
ちいさいスペースに、たわわな藤の花や、
牧場のように雄大な風景や、
正真正銘の野アザミや、
ただしく懐かしい田舎の風景を見ることが出来た。
そんななかで、石碑が次次に現れる。
これは国分寺跡。
だが国分寺が施入される前は、恭仁京(くにきょう・くにのみやこ)という奈良時代の都の大極殿が合った場所でもあるのだ。
聖武天皇の勅命により、平城京から遷都されたのが天平12年(740年)。次の紫香楽宮に遷都されたのが、天平14年(742年)。たった3年間の幻の都だった。
紫香楽宮も3年後には難波宮への遷都となり、その難波宮はたった1年で、もとの平城京に戻ってしまう。
ということで、山城国分寺跡と恭仁京大極殿跡は、ダブルの遺跡となっている。
その先にある、広々とした場所の礎石たち。
千年をとっくに越えて、この場所で過ごして来た石たちだ。
というような歴史的な物件を、歩いて来たおかげで多々見ることが出来た訳だが、
この日は天気が良すぎて、この辺で息切れかと思われた。
しかし、この先の道を訊ねた飲食店で、親切な方に車で駅まで送っていただけるという僥倖に巡り会う。