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紙魚子の小部屋 はてな版

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

兼松講堂

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

駅前から一橋大学まで歩いたが、ほとんど夏のような日差しにめまいがしそうだった。わずかな距離だったのに! それでも校門近くまでくると、空気がひんやりとしてくる。大木の木立が木陰をつくってくれるのだ。

 

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大学前の道は、両側が自転車でいっぱい! それでも余裕で人が通れるスペースは確保されている。

 

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大学の門を入り、守衛さんに見学のむねを申告して進むと、ひんやりとした空気が心地よい。大木が広範囲で緑陰をつくっているのだ。

 

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そんな心地よいキャンパスを歩いてふと、足下を見ると

 

ぎょっ!!?

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小さいながらもムカデがぺしゃんこになって道にへばりついているではないか! たしかに森のようなキャンパスだから、ムカデの一匹や二匹いても不思議ではない。しかし、すでにお亡くなりになっているとはいえ、まさか一橋大学で初ムカデを見るとは!!

 

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まずは 一橋大学の象徴ともいうべき兼松講堂 ↑ 1927年に伊東忠太氏の設計によるロマネスク様式の建築だ。有形登録文化財である。

 

 

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建築探偵の異名をもつ藤森照信氏によれば、世界的に見ると、19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられた大学の施設は、ゴシック様式かロマネスク様式かのどちらからしい。

 

大学が、なぜこの2つの様式なのかといえば、大学は中世ヨーロッパの修道院に起源をもっているからだそう。建築家がそういう歴史の 勉強をして、大学の施設には、修道院の建築様式をつかうようになったらしい。その修道院の建築様式が、ロマネスクかゴシック かのどちらかだったのだ。 

 

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でも、日本の大学では多くの大学がゴシックを選んでいる。なぜ一橋だけがロマネスクを選んだか。

 

これは、伊東忠太という建築家のキャラクターに依るものだと藤森さんは考えている。

 

伊東氏は建築史の専門家で、 「オリジナル」ということをすごく重んじた学者だった。法隆寺の金 堂や回廊の柱がギリシャ神殿のエンタシスから来ているという仮説を立て、それを証明するために3年間をかけてユーラ シア大陸を中国からインドを経て、ギリシャまでロバに乗って 踏破されたらしい。それだけ見て回っても、結局は証明できず、その後は沈黙したという(笑)

 

でも、今なお彼が証明する前に主張したことが伝わっていて、修学旅行では「これはギリシャ建築のエンタシスの柱に起源を持つ世界最古の木造建築で」、というような説明を受けるみたい。私も学校で習ったし、小学校の旅行でもその説明を受けた。

 

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ロマネスクは11~12世紀の建築で、13~14世紀がゴシック、 15世紀からがルネサンス様式になる。ロマネスクが発展してゴ シックになった。つまりロマネスクは、建築様式としては古いので、その分稚拙なところがある。

それに対してゴシックは華やかで、洗練されている。だから、多くの大学はゴシッ クを選んだ。しかし、オリジナルに対する伊東さんの個人的な思いが、ゴシックの源流であるロマネスクを選ばせたと。

 

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ところでロマネスクという言葉は、11~12世紀につくられたキリスト教の教会や修道院が、ローマ風の建築だったということに由来している。なぜローマ風だったか。

 

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4世紀初頭に、ローマ帝国キリスト教を受け入れて、キリスト教の教会をつくりはじめた。ところがゲルマン民族の大移動によってローマ帝国は滅ぼされてし まう。

このため、6世紀から10世紀にかけては、キリスト教 はイタリアだけになってしまい、フランスやドイツからは消えてしまった。ゲルマン民族がもちこんだのは、アニミズム、 つまり動物や植物や自然現象を畏れ敬うという土着的な宗教 だったのが、ゲルマン民族もだんだんにキリスト教の影響を受けるようになり、10世紀になるとキリスト教が全ヨーロッパで再生した。でもどんな教会を建てればいいのかわからない。

 

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だからキリスト教が残っていたローマに、フランスやドイツやノル ウェイから勉強に行くことになる。そうして11世紀から12世紀 にかけて、ローマをお手本にした教会や修道院がヨーロッパ の各地でつくられるようになった。それがローマ風の建築、 すなわちロマネスク建築である。

と伊東さんは、おそらく、こういうようなことを話して、施主 である大学関係者をいいくるめたんだろうと、藤森さんは妄想してらっしゃる。

 

でもこれは、建前の理由。

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伊東氏がロマネスクに執着したのは、もっと彼の内的欲求に基づくものだったのではないかというのが、藤森先生の意見だ。


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兼松講堂を正面から見ると、出入り口や窓が、連続した半円形のアーチで構成されている。これがロマネスクの大きな特徴のひとつで、ロマネスクはスペイン経由でイスラム 文化の影響も受けていたから、アラベスク模様、つまり アラブ風の模様もまぎれこんでいる。さらに、あちこちに不思議な怪獣がとりつけられている。

 

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そうか、アラブ風の建築でもあるんだ! 絡み合い繰り返す唐草模様=アラベスクって、アラブの粋を集めたアルハンブラ宮殿でたっぷり見た。今は昔の新婚旅行で。

 

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ロマネスク様式の時代、ローマ人以前のケルト民族やローマ人以後のゲルマン民族は、キリ スト教を受け入れたといっても、それまでの土俗的な宗教を 捨てきれず、精霊信仰に由来する いろんな図像をキリスト教会や修道院のなかに組み入れたのだ。 しかし、合理的な宗教であるキリスト教としては、ゴシックの時代に「怪獣=悪魔のシンボル」として、ひとまとまりにされてしまった。

 

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よく知られているように、伊東忠太というひとは、妖怪が大好きなのだ。彼のつくりだした妖怪、怪獣は、たくさんの不思議な絵や彫刻として残っている。

 

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そんな不思議な生き物たちを、思う存分跋扈させるには、ロマネスク様式しかないと、妖怪大好き伊東さんは考えていたはず。

 

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それは、彼が設計したなかで最も知られている「築地本願寺」を見れば、一目瞭然だ。去年、私も長年の念願かなって「築地本願寺」を見ることができたが、それはもうすごいインパクトである。伊東さんは「お寺のオリジナルはインドの寺院にある」ということで、建築物自体も、ばっちり インド風の建物にしてしまったのだ。築地に突如インドが出現するのだから、それはびっくりだ。

 

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兼松講堂は、ぐっと控えめながら、そんな「築地本願寺」を想起させる建築でもある。う〜ん、中も見てみたいなあ♡

 

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だって中には、伊東さんのオリジナルの怪獣が満ちあふれているそうなのだ。

 

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こんなアーチにも、ちいさな庇にも、花模様が入っている。現在では不可能と思われる技と手間である。

 

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藤森先生によると、兼松講堂には ヨーロッパ文明のなかでは排除されてしまったもの、動物や 植物や人間が渾然と絡み合った精霊信仰的なものがあるらしい。今の時代に求められているエコロジカルな考え方、要素に分割するのではない考え方にもつながっているのではないかと。

なるほど、私がいやに伊東忠太建築に惹かれるのは、そういうことなのかもしれない。あるいは、たんなる妖怪好きなだけ?

 

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正面妻面にあるのは校章らしい。外装はスクラッチタイル張り,腰石張り。なんて贅沢なんだ!!

 

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この感じ、やはりアルハンブラ宮殿の水のある中庭=パティオを思い起こさせる。あんなに豪華ではないけどね。

 

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ここにも怪獣がにらみをきかせている。時計台のついた向かいの建物は図書館だ。

 

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この伊東忠太さんの魂がこもった建物は、2000年に入って修復された。もちろん伊東さん渾身の不思議な生き物たちも、丁寧に復元されたという。東京の素晴らしい建築がどんどん失われる中、心温まる話である。

 

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次は図書館だ。入れないんだけどね(残念!)。