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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

合掌造りの信越民家

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

山田住宅も五箇山の合掌造りだ。

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やはり富山で、桂という集落の民家だけど、いまはダムの底の村である。その一軒が救出され、ここに移築された貴重なものだ。

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蓮如上人が泊まったという言い伝えのある建物らしい。壁面は桧皮で覆われているので、なんだか冬場のマタギのよう。

 

次も同じ五箇山の合掌造りだけど、利賀谷(とがだん)という地域にある「野原家住宅」はひと味ちがう。

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しっかりとした藁葺きの庇(ひさし)が付いている。

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利賀谷は冬場には雪で閉ざされてしまう。屋根の雪下ろしのために屋根にのぼるため、常時鎖が下がっていたらしい。また行商が来なくなるので、往復8時間の距離を代表が食料の買い出しにいっていたとか。この集落で暮らしていくのは、きびしいものだったのだ。きびしいからこそ、浄土真宗が篤く信仰されていたのだろう。

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天井の下にはぐおっと曲がった「チョウナ梁」がある。

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斜面に生える樹木は雪などによって根元が曲がり、自然の力に耐えて丈夫なのだ。そのため、合掌造りの梁として使われている。

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それでは、お蕎麦屋さんとして現役利用されている山下家へ。白川郷からまず川崎駅前に移築されて料亭として使われていたのを、さらにこちらへ移築されたもの。

 

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この入り口の庇は板葺きになっている。板葺きの庇は、五箇山白川郷の大きな違いだ。

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先ほどは裏口の縁側から上がり込んだが、本当はこちらが入り口。

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もりそばはあるが、かけそばなはい。

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屋号は「白川郷」。昼間の賑わいがうそのように森閑としている。

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ここで信越の村は終了。

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まだ半分も来ていないことに愕然! 

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いそがなきゃ!

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トンネルを抜けるとそこは「関東の村」だった。