北村家はお墨付き、菅原家は東北の民家
次は国の指定重要文化財。日本で最も重要な民家のひとつだ。それは建築年代が特定できるから。もちろん建築的にも優れたものであるのは、いうまでもない。
北村家の建築年は、17世紀後半とか18世紀中頃などアバウトな表記ではない。
1687だ!!
どうだ、まいったか! というくらい、このことは特筆されることらしい。柱の先端に墨で書かれていたのだ。建てたのは理兵衛という大工の棟梁と、その手下たち。この記録を「墨書」という。
土壁だけでなく、竹も使われている。向こうには濡れ縁も。
田畑はたくさんあったにもかかわらず、朝4時起きで夜遅くまで、家族みんなが働き詰めだったそうだ。土地が稲作には適さなかったので、土地があくとかわりばんこに、様々な農作物を作っていたのだ。
たとえば葉タバコ、たとえばビール麦。それでも暮らし向きが上向くのは、昭和2年生まれの一平さんが会社勤めを始めて、兼業農家になってからだとか。
次の民家はこれ↓
今回はトンネルすらもくぐっていないのに、またも空間を超えて東北は山形に来てしまった。鶴岡市にあった民家だ。
やはり農家(肝煎=庄屋や名主のようなもの)だ。
中には農家の道具がずらり。上には二層三層があり、そこで養蚕を行なっていた。そのために屋根に高窓をもうけて採光を取る、特徴的な作りになっている。
この高窓を「ハッポウ」という。移築されたからか、ハッポウは山側に(汗)
豪雪地帯なので、冬場には「雪囲い」をしたそうだ。