久保町界隈
本通りを突き当たりまで、どんどん歩く。久保町郵便局を目指すのだ。
途中の路地に、本を臥せたような屋根のついた鳥居を発見。
しかも、ちらっと黒と黄色の警告機がのぞいている?? ということは、神社の中を線路が走っている・・・ということでは? どっひゃ〜〜〜!
ここは亀山(久保)八幡神社というらしい。すごいね!!尾道!!
さらに本通り沿いに戻って歩いていると、こんな紋のついた古いコンクリートの建物に続いて、
一部コンクリートで補修された煉瓦塀! え? なに? これ?
とにかく古い煉瓦積みにドキドキする。
きれいな煉瓦じゃないし、コンクリートの挟み方も素人っぽいけど、そこに味があったりして。
塀の中には、蔵のようなものがのぞいていた。なんだろ、ここ??
アップにしてみた。
ロングに引いてみた。うーん・・・わからないけど、なんかすごいものかも。
後で宿に戻った時、フロントのオジサンに聴いてみたら、「爽籟軒(そうらいけん)」という豪商の別荘だとか。庭園が有名で、そこにある茶室「明喜庵(みょうきあん)」は、京都にある千利休のつくった「待庵」の写しになっているらしい。
ほら、やっぱりスゴイものだった。
久保町郵便局で風景印をいただいたので、次にロープウェイを目指す。バス通りのむこうは、階段をはさんで線路、
その向こうにはお寺と神社が〜〜。
そして、その反対側にはさっきの鳥居が!!
そして門も!!
この門がまた、なんともいい感じに古びていて〜。
道路に面した裏側の屋根瓦には水紋があるんだけど、
門をくぐって表側を見たら、
水紋と龍! 水をかき分けて泳ぐ龍!
頭が大きくて、ちょっと子ども体形な狛犬さんたち。
それにしても、境内にバス道と鉄路って・・・!!! 再び尾道カルチャーショック。
狛犬さんたちが守るのは寺社だけではなく、鉄路と道路の交通安全もなのだ、きっと。大忙しだ。
線路の向こうは寺社だらけのエリアになっているのだ。
尾道本通り その2
商店街の途中にある郵便局で風景印をもらって、さらに歩く。
意表を突く毛糸店の看板を発見! ええ〜〜っ!?
このデザイン! このアイディア!
うわあ、お店を見て久々にドキドキしたよ♪
こちらは正反対の、お洒落でモダンで高級感あふれる帆布製品たち。
こんな製品も。尾道の子どもたちは使っているのかしら? カバーをつければ、たしかに成長しても使えそうな気もする。
ガイドブックにあった「あなごのねどこ」だ。
「尾道空き家再生ゲストハウス」であり、格安宿泊施設。トイレとシャワー共同で風呂無し、相部屋もOK、とにかく安ければ!という人にはうってつけ。「ウナギ」よりは奥行きが手狭、ということなのかも。
カフェもついてます。「あくびカフェー」
ここのリノベーションは私好みのセンス。でも「風呂なし」「トイレ共同」は無理だなあ。
あっ、昔懐かしい、デパートの屋上に必ずあった子どもの乗り物だ! ただ揺れるだけなんだけどね、これに乗れたら無性にうれしかった。当時10円。30円入れたら、今も動くんだ!
ネットでは「オバケのQ太郎」のがいっぱいアップされていたけど、さすがに古すぎて引退したのかも。今も現役なら「50年もの」だもんな。
正統な正しい鮮魚のお店。シンプルで整頓されている清潔さ、オール板張りというのもすてき。
こちらの路地はお寺につづく道。踏切ではなく、下をくぐるトンネルタイプ。
一旦、お宿に立ち寄る。予定よりはやくチェックインし、部屋に荷物を置いて再度街中へ。「尾道みなと館」は、昨年できたばかりの、ちょっとだけ贅沢なペンション風プチ・リゾート。本州では尾道が拠点となる観光地「しまなみ街道」を、自転車で走破する前後のお客のために、自転車持ち込み可だそうだ。
ここに決めたのは、ラジウム温泉があったから。日帰りもできる。
もちろん、「バルカフェ」ことレストランやカフェバーも併設。
ここで、16時経過。
さて、次の郵便局に立ち寄ってから、やっと「千光寺公園へロープウェイで」、というオーソドックスな尾道観光に出かけるのだ。
しかし、ロープウェイにたどり着くまでにも寄り道だらけなのは、いつもと同じ(汗)
尾道本通り その1
石段の下の踏切を渡り、そのまま駅前の大きな道を横切り、駅方面にしばらく戻って、駅前本通りのアーケードのある商店街の近くまで来る。
ここでブロンズ像と遭遇する。ご存知、尾道の有名人、林芙美子である。ひとりでどこにでも行ってしまうバイタリティのある女性だ。そしてやはりお城とツーショットだ。
物理的にも人間関係的にも、放浪のひと。なにを思っているのだろう。
ある意味、寅さんの女性版か?
アーケードを入ってすぐに寄り道だ。
「林芙美子資料館」があったから。無料。
ここがふるさとではないけれど、2年遅れての小学校生活に続く女学校生活を、彼女は尾道で過ごした。10代の多感な時期に、親友に恵まれ夢多き時代を過ごした彼女にとって、尾道はふるさと同様だったのかもしれない。彼女も「土堂小学校」を卒業しているので、大林監督の先輩なのだ。
芙美子ゆかりの家が残っていた。彼女が間借りしていたのは2階部分なので、正確には「林芙美子の部屋」。
中にも入れるのだ。
ちゃんと2階が見られるように灯りが灯っている。
階段が急勾配すぎるので、ゆっくりゆっくりあがっていく。
上には着物などが下がっている殺風景な部屋がひとつ。これが思春期の芙美子の住まいだった。
さて、ふたたび本通りに戻る。
商店街の両側にある路地、また路地。こちらは山側。路地に続くのは踏切、そして石段。
このすてきなティスプレイは古道具屋さんかな?
ウィンドウの最前列には、なぜか小さなお琴と伊勢エビ。
あ、この路地の先にも踏切と石段が。もはや尾道の定番なのか。
ひるがえって海側に続く路地は石畳になっていた。
尾道のガイドブックには必ず載っている、銭湯をリノベーションしたカフェ兼お土産屋さん「ゆーゆー」だけど、こちらも今日は定休日(汗)
さすが広島、洋品店に広島カープのユニフォームを着たクマさん人形! しかも手づくり!
商店街の片隅の小鳥の巣箱のようなお堂に、かわいいお地蔵様が鎮座。しっかりしたお堂でなく、こんな素人さんの手づくりも味わいがある。初めて見る手づくりお堂。
おおっ! 7段の石段をあがっての踏切待ち! その奥へは、やはり石垣があるので、石段か坂道に続くみたい。
(「尾道本通り その2」につづく)
持光寺
本人の気づかないうちに延命パワーを授かって、門をくぐる。
帰りもくぐったから、2倍のパワー。
持光寺は、平安時代に伝教大師(最澄)の高弟・持光によって草創された天台宗の寺院。本尊は聖観世音菩薩立像。
しかし、南北朝時代・足利義満の頃、本尊に立像の来迎・阿弥陀如来を迎え、浄土宗に改宗する。京都は東山の永観堂 浄土宗西山禅林寺の末寺となる。そして江戸時代、徳川5代将軍綱吉の頃、五劫思惟の阿弥陀如来を迎えている。
五劫思惟の仏さまって、自分の髪を切るのも忘れるほど「どうしたら人を救えるのか?」と考え続け、アフロのような髪型になった仏さまである。なんと、この阿弥陀如来さまに一度お参りすれば、最高位の「極楽浄土に至らんこと、何の疑いもなし」と書いてあるではないか!
死後は絶対安泰ということなのか。それはすごい!
そうそう、粘土でつくる「にぎり仏」がつくれることでも有名なお寺で、作った後は住職が「心をこめて焼き上げ送付」してくださるようです。
持光寺について、コンパクトにまとめたサイトはこちらを参照↓
枝垂れ梅が咲き、モクレンの蕾が膨らむ境内へ。
平田玉蘊(ぎょくおん)も尾道のひとだったんだ。玉蘊は江戸時代の女性画家。持光寺は、彼女の菩提寺だった。
彼女の絵が入った石碑も。
立派な屋根の鐘楼。
りっぱなシャチホコと鬼瓦がついていた。
あれ? お寺なのに、狛犬が威嚇していた。
こちらはちょっと腰が引き気味かも。
小振りでアットホームな感じのお寺だった。残念ながら、本堂は閉まっていたので、直に阿弥陀如来様とは対面出来なかったが、外からそっとお参りする。
玉蘊の好きなソテツもある、きれいに手入れされた境内だった。
本堂の大屋根には、立派な鬼瓦に、
ちょっと剽軽な鬼瓦も。
ふたたび、延命門をくぐる。なんだかワクワクするのは、やはり石のパワーのおかげか。
最初の石段をくだった先には、両側に石柱。読めないけど、善なるものは通れるけど、
すべての悪は、ことごとくストップされる門、ということかな?
この石柱のある場所から、さらに石段は続くのです。ほらね。
しかも最下段には、なんと踏切! 滋賀県では考えられないシチュエーションだ。ここでも尾道カルチャーショック。
しかし、横手をみれば、(たぶん)廃屋の荒れた庭に、ユキヤナギや沈丁花が咲き乱れていた。こういう風景は、なぜかちょっと和む。
それにしても、石段の下が踏切って・・・なんというか、新鮮でした。
駅裏から持光寺まで
一旦、駅裏に戻る。海があって山があって坂があるのは神戸や横浜と同じなのに、町の雰囲気は全く別もの。迷子になりそうな細い坂道がいっぱい!
なんともかわいらしい駅の裏口。僻地の無人駅のようだ。
黄色い春色の電車が停車中。
駅裏からもお城が見えます。ここから緩やかな坂道をあがっていく。
でました! 最初に遭遇したのはクロネコでした。
お好み焼き屋さんにむかってトコトコ。あ、お好み焼き屋さんではなく、もう1匹のクロネコが自転車の影にいるから、彼女めあて?
線路を隔てた向こうの通りには、尾道本通りの入口が見える。のちほどそちらに伺いますので!
商店街になっている本通り。ここを通っていくと今夜のお宿にいきつけるらしい。
でも今は、駅裏の坂道をあがっていき、土堂小学校へ。ロケ地巡りのひとつめだ。
大林宣彦監督の母校、土堂小学校。ここからすべてが始まった!?
朝ドラ『てっぱん』や映画『ふたり』で、使われたそうだ。
坂道をあがった後で、またしてもこんなにいっぱい石段をつかって毎日通っていたら、足腰丈夫になるだろうなあ。
歴史ある母校にすてきな先輩がいらっしゃって、現役の小学生たちも、なんだか誇らしいだろうなあ。そういえばここの小学生が、「尾道ロケ地の調べ学習」もしていた。
関係者ではないので、ここでUターン。ちなみに同じ敷地に幼稚園もある。
ほら、こんなに高い場所に学校があるんだって! 参観日やPTAの保護者は、たいへん!!
石段の横には、よく手入れされたミニ花壇。学校と平行して、民家も建ち並んでいた。どうも尾道には、蜘蛛の巣状に狭い坂道が走っているみたい。
しかしこのアップダウンは、軟弱な旅人にとって辛いものがあるのだ(汗)
いやいや、弱音を吐いている場合じゃない。限られた時間で出来る限りまわらねば!
石段の横には「古寺めぐり」の道標があったので、迷わず持光寺へゴー。
ロケ地巡りが、いつしか古寺巡りに変貌の様相(笑)
のぼりの坂道をゼーゼーと。
ここが映画『ふたり』で使われた「電柱のある坂道」なんだろうか? と、ロケ地巡りも手放さないワタシ。
ええっと、どっち?どっち? とりあえず、あがってみる?
でも「千光寺」まであがるつもりは無いのだ。
見回して見ると、下にお寺の屋根がみえた。もしかして、あれかな? 持光寺?
登りすぎたか? もう一度坂道を下ろう。
しかし、この墓場を隔てる坂道の壁は、猫が歩くと運動になりそうな段がついているなあ。石垣とコンクリートのコラボ壁。
端正な大屋根。火災除けのおまじない、波もしくは水紋の瓦。
やっと持光寺の入口に到達。でもここに来るまでに、さらに登りの階段をあがったのですよ(汗)
ああ、下から見ても大迫力。これが「延命門」。こんな門のあるお寺って、初めて。
持光寺裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た巨大な石門。門をくぐると、巨石より発するパワーにより寿命増長されるといわれている。と、さっきネットで調べたら書いてあった。
ということをくぐった時は知らなかったから、なにげなく通り抜けちゃった。もうちょっと感慨深く通ればよかったかな。
三軒家アパートメント
出発前に偶然地図上でみつけた「ホホホ座尾道店」が、ガウディハウスの近くにある「三軒家アパートメント」に入っているということを知って、行って見ることにした。ただし、本日木曜定休なのは調査済み。本番は明日のお昼に再訪予定だ。
「三軒家アパートメント」は「北村洋品店」を目指したらわかるとのことなので、目指せ、「北村洋品店」。
たどり着いたのは「北村商店」だけど、たしかにここに来ると「三軒家アパートメント」の所在は、案内があるのでわかるのだ。
ちなみに「尾道空き家再生プロジェクト」についての詳細はこちらで読めます↓
CAFEの矢印をたよりに、角の細い路地を入っていく。どきどき。ショウウインドウ下のタイルも素敵。
駐車スペースだけど、車ではなく自転車分のスペースだね、きっと。すでに入口から、手作り感満載だ。
まるで、猫の散歩道のよう。
「三軒家アパートメント」については、こちらのリンクも参照ください↓
どうやら目的地に到着した・・・みたい。消去・変更・再利用可能なチョークの看板が主流。出入りがあっても、簡単に更新できるからね。
尾道駅裏徒歩3分という好立地にあるにもかかわらず、中心市街地空洞化や生活スタイルの変化、建築基準法の改訂などの影響で時代に取り残され全棟空き家となってしまった風呂なしトイレ共同という昭和の古いアパート(旧楽山荘)をものづくりの発信拠点として再生させました。
古いアパートのデメリットであった共有廊下などをうまく活かした方法で再生させ、10部屋それぞれ、工房(ショップ)や事務所兼ギャラリー、カフェなど入居者自身によるDIYで自由な空間をつくり出しています。
う〜ん、この感じって・・・なんかに似てるなあ。と思ったら、京都の学生アパートみたいなんだ。風呂なしトイレ共同のね。私は住んだことないけど、友達の部屋にはよくお邪魔した。「ホホホ座」は2Fの202号室。手づくりクッキーと雑貨と本が販売されている。
細かいところはお洒落なんだけど、どこか残念な感じもする。でもそれは素人の手作業なので、仕方ないところなのかも。
カフェはどうやら、日替わりで交代するらしい。
西館に入ってみる。
くらい! さすがは昭和の家だ!
そしてなぜか、カラフルなヘルメットがある。ヘルメットの合い言葉は「再生中」なので、家を再生するリノベーション工事のときに使うものなのだろう。
このあやしげなお習字の看板は!?
ああ、こういうことね。カロムと漫画図書室らしい。
竹の骨の壁! 土壁はなし!
ビニール張りの椅子も、温泉場にあるものっぽくて、なんかいい。昭和の人間には、ちょっと興奮する空間。
となりは入口のある卓球場。なぜかワンピースを着たトルソーマネキンもある。
鏡に店名とイラストって、温泉みたいで、なんかいい。
でも生憎ひとりで卓球はできず、それ以上に時間が無いので、スルーして奥へ。
あきえ夫人似の素敵なレトロ・フランス人形が、やはり素敵な昭和レトロ食器棚の上で微笑んでいた。すごいな、この保管状態!まっさらじゃないですか! しかもケースなし。
私の子どもの頃、うちにもこういう人形があったのに、しょっちゅうケースから出して人形遊びをしていたので、ドレスは染みだらけで髪もぼさぼさという有り体だった。飾り専門の人形で遊ぶなよ!と、子どもの私に言ってやりたい。
奥は古着屋さん。アクセサリーや小物も少し。こちらには「ベルサイユの薔薇」も驚きの立て巻カールのお人形が。レーシーなスカートもチャーミング。
ライトカバーも手づくりっぽいですね。
ここにはちゃんと店主さんがいらっしゃって、少しお話ができた。やはり『ホホホ座』はお休みだとか。
あ、まだ出ちゃいけない。えーと、『ホホホ座』は、っと。
戻り過ぎ。
あっ、黒板だけじゃなくて、こんな杉焼きみたいな木の看板もあるんだ。
あ、あっちに階段があるぞ。
ああ、この上ね!
うわー! 昔の階段だあ! なつかしー!! しかも昔は手すりなんか付いてなかったし! 果たして私の体重を支えてくれるのかが、ちょっと心配だ。
さっきのお店は「ミミズク」って名前だったのね。
ウチにもあった昔の階段は、足を降ろすところの幅が狭くて、勾配が急で、しかも暗いから、何度か落ちたこともあったっけ。子どもで身軽だったから、無傷だったけどね。
では、また明日。ここからもお城が見えましたよ。
ガウディハウス(旧和泉家別邸)
駅を右側に出て裏手に回り込む郵便局巡りだったので、地理的に近い、気になっていたマイナースポットへ行く事にする。マイナースポットなので、地元の人に訊いてもすぐには答えが返って来なかったりした。
電線が走り、カーブがうねる路地。なつかしい町並みだ。
こういうところで、おかしやおもちゃを買いたいが、カーテンが引いてある。
電線とライトと歯科の看板とお城の絶妙なコラボ。
いかにも本格的な老舗酒屋を発見。
酒屋ではなく「吉源酒造場」で、
隣には立派な蔵がある。
こちらが住居らしいが、現役なのかは不明。
吉田源右衛門、略して吉源なんだ。
そんなりっぱな構えからほど近い場所には、こんなスナックもある。いや、昼間は喫茶店らしいが。朝ドラ『あまちゃん』の「スナック リアス」を思い出すよね。しかし、なぜに「アラブ」なんだろうな。ママの趣味がベリーダンスとか?
お目当てのマイナースポットは、「ひやま時計店」の向かいの階段をあがったところにありますよ、と教えてもらったが、たしかにこれは不思議な家屋だ。「旧和泉家別邸」こと通称「(尾道)ガウディハウス」。
(緑字は、NPO法人 尾道空家再生プロジェクトのHP 再生物件01より引用↓)
大正末期から昭和初期にかけて戦前の豊かな時代に、他の港町と同様尾道でもハイカラな洋風建築が流行りました。
鉄道開通後栄え始めていた尾道駅裏の 斜面地には擬洋風建築の建物が今も多く残されており、旧和泉家別邸もそのひとつで、わずか10坪の狭い建物の中に当時流行った技法がところ狭しとちりばめられた洋館付き住宅となっています。
昭和8年に和泉家の別邸として一人の大工さんが3年かけて建てた建物ですが、跡継ぎ不足と老朽化で25年間空き家の状態で解体の危機にありました。
2007年より尾道の斜面地における空き家再生のシンボルとして、プロセスを共有しながら再生しています。
再生完了後は和の空間を生かした貸しスペースや 短期滞在可能な貸家として活用し、尾道建築の生きた証しとして後世に繋げていきたいと考えています。
しかし、「再生完了」するのがいつになるかは、現在のところ不明。
という意味合いもこめての「ガウディハウス」なのだ。スペインはバルセロナのガウディが着手した「サクラダファミリア」みたいにね。
他にも随所に見られる必要以上の装飾や、日本建築にしては珍しい曲線の多用から来ているから、という名前の由来もあるらしい。
昔の木造校舎みたいな材木が使ってあるな。
こういう瓦も、立て替え前の木造の小学校でみたような気がする。
さあて、そろそろ次の物件に行ってみようか。
尾道の初階段だったが、こういう場所に、これからさんざん行く事になるのだ。