千光寺
下山なので、裏口から千光寺に入ることになる。
岩と建物の間がギリギリ!!
大岩を屋根にして、お地蔵様がいらっしゃった。
そんな岩の上を通り過ぎるロープウェイ!! このロープウェイと神社仏閣の接近遭遇は、翌日も体験することになる。ちょっとばかりヒヤヒヤがはいったドキドキをね。尾道のあっと驚く凝縮ぶりには、意表を突かれる。
こんな感じに岩山の狭間に寺院、という感じなんですよ。
梵字岩。この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれている「光明真言曼荼羅」だ。
しかし残念ながら、営業時間?を過ぎており、本堂には入れず(悲)
俗に「赤堂」と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度御開帳の秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。
本堂から見る尾道の風景は絶景らしいので、少し外れた塀越しに眺める。なるほど、なるほど。
ふと下を見ると、やっとご当地マンホールにご対面! いや、消火栓だけど。駅前の道には全く見かけなかったので、「ここにはご当地デザインのマンホールがないの!?」と、少なからずショックを受けていたのだが、まさかこんな高台で発見するとは! これも尾道カルチャーショックだった。
そして千光寺での、もうひとつのカルチャーショックは・・・絵馬!!!
リラックマの顔が絵馬を下げる場所にわんさとあったのだ!!! リラックマ、こんなところで何をしている!といいたいのを、グッとこらえる。カップル用の縁結び絵馬にハート形とキューピッドは、宗派違いなのを含めても、まあ許そう。しかし、なんでリラックマなんだ!?
リラックマとなまはげコラボ・ストラップは嬉々として買うのに、なんで絵馬には違和感全開なのか。たぶん「神聖であるべき場所」に「商売」の匂いを感じるから興ざめしてしまうのだ。いや、それなりの創意工夫とサービス精神があれば、それもいいだろう。しかし何の芸もなく「廃れることなくかわいい」「盤石の人気者」というだけの理由でリラックマだ。
今調べてみたところ、千光寺では絵馬どころか「お守り」までリラックマデザインらしいのだ。おいおい!!
でもまあ、こんなかわいい裏絵馬に遭遇できたから、ゆるす。
12年後の年賀状デザインに使いたいようなニワトリの絵柄も発見した。しかもリラックマ絵馬ではない。この無欲な作者には、お願い事はなかったようで、それだけでも心が洗われる。この子は将来は大物になるであろう。
・・・しかしよ〜〜く見れば、木目の感じが他のと全然違う? もしかして、自作の絵馬だったのか? う〜〜ん、この裏にはびっしりお願い事が書いてあるのかも??
岩の隙間に建った千光寺とは、これでさようなら。しかし、建てるのは大変だったろうなあ。
本来の入口より出ていく。
千光寺の印象を訊かれたら、ほぼリラックマ(のイメージしか残っていない)、と答えるかもしれない(汗)
それもこれも「観光寺院」としての定めなのかもしれない。
禁止事項にあるけど、これだけ石碑があれば、拓本とりたい人はけっこういらしゃるかも。
というような印象ではあったが、
本堂には行けなかけど、道中で素敵な石仏さんたちには出会えた。
3等身の石仏さん。リラックマに負けず劣らずかわいい。
石段を下りた場所にも磨崖仏の看板があった。行ってみよう。
お迎えに来てくださる釈迦三尊。こちらもほのぼの系の石仏だ。
クールな理論派担当の二仏。
ずいぶん夕方に近づいて来た。もうすぐ街に灯が灯る頃だ。
素敵なカフェが坂の途中にあった。大正時代に建てられた登録文化財だそうだ。
こんな高台で飲食店をするのは、大変だろうなあ。でもお店の名前も分からないので、検索したところ、なんとゲストハウスだった。「ゲストハウスみはらし亭」。1Fはカフェ。
そしてこの素敵建物は、尾道空き家再生プロジェクトのボランティア総動員の人海戦術だけでは再生ができなかった。そこであきらめないのがこのプロジェクトの凄いところだ。初クラウドファンディングで目標額を150%達成し、難しいリノベーションを見事成し遂げ、ドミトリー形式で格安な宿泊費にし、朝夕の絶景を眺めながらのお食事ができる人気宿泊施設に変貌したのだ。
いまどきの若い人たちって、なんかすごいものがあるわ(私の知っている限りでは、ほぼ女子ですが)
「文学のこみち」をくだる。
山のような石碑があったので、すべてを紹介するのはムリ。ということで、抜粋して
一部をお届けします。
そうそう、こんなのどかな感じでしたよ、下山するときの風景はね。
松の下を潜り、石の間を抜ける、らくちんトレイル。でも登って来る人たちは、さすがにゼーゼーハーハーだった。まだこのあたりは山頂近くだから、ずいぶん登って来た後だもんね、当然。
風光も明媚。
『東海道中膝栗毛』の作者だけに、彼も旅が好きだったのかも。それとも続編のための取材旅行?
彼は日本初の職業作家らしい。『東海道中膝栗毛』が大ベストセラーになり、流行作家になってしまったのだ。彼担当の蔦屋の編集さん?が、原稿ができるのを隣で待っていたというウワサもある。
ちょっとした岩場にさしかかる。
このスキマをくぐり抜けろということか。
案外、大丈夫。
うまい! さすが神様ですね。
この見晴らしのいい一等地にある石碑は、
もちろん、林芙美子先生だ。そりゃもう、ここでなきゃね。
「海が見えた、海がみえる」。リズミカルで、切ないほどの郷愁だ。
次なる俳句は、児童文学のひと。
巌谷小波先生。「大屋根は みな寺にして 風薫る」
やっと千光寺までやってきたようだ。
千光寺山ロープウェイ
すでに陽は傾きかけて16時半頃。急がねば。
線路の向こうに連なる寺院を見つつ、千光寺山ロープウェイを目指す。通過する電車と鐘楼が並び立つっていうのも、ドキドキする光景だなあ。
ほら、向こうから黄色い電車がやって来た。すでに斜光で影が伸びている。
郵便局で教えてもらった通りに歩いたので、迷うことなく乗り場に到着。そばにはお洒落な『喫茶こもん』も。ここも実はロケ地。『転校生』『ふたり』などの映画で使われたそうだが、いまは急いでいるので、また今度。
私が乗る時には3人ほどの乗客だったが、そのあとどやどやと若者たちが乗り込んで満員状態に。
最終便のひとつ前のに、乗ることができたようだ。
しかも道中の案内はテープではなく、女性の車掌さんだった。
尾道を箱庭状態で俯瞰できる3分間の空中散歩に、しゅっぱ〜つ!
寺院&墓地の箱庭スタート。
ビルと尾道水道の箱庭。
ひしめく寺院↓ すれ違うロープウェイ。
おだやかな町並み。建物も、山と海の間にぎっしり寿司詰め。
山の岩だらけの小径も見える。
整備された道なので、山道だけど歩きやすいかもしれない。帰りはここを通るのだ。
川みたいだけど瀬戸内海なんだ、尾道水道。
到着! あ、キップ渡さなきゃいけないのに、見当たらない! カバンの中をゴソゴソして、最後に降車する。
展望台へ行く途中、石段の横手の竹垣に遭遇する。造園組合青年部制作の「臥龍垣」。
島々や船々が、郷愁をさそう夕暮れ。
おのみち、キター!!という感じですね。
若者たちも特等席で、カメラのシャッターを切る。そしてカップル率多し!! なるほど、わざわざ夕暮れにロマンチックな場所に来るのは、そりゃあねえ。
桜にはまだ早いけど、充分ロマンチックな風景だ。
彼等のおジャマにならないよう、早々に下山だ。というより、日が暮れる前に山を下りないとね。
久保町界隈
本通りを突き当たりまで、どんどん歩く。久保町郵便局を目指すのだ。
途中の路地に、本を臥せたような屋根のついた鳥居を発見。
しかも、ちらっと黒と黄色の警告機がのぞいている?? ということは、神社の中を線路が走っている・・・ということでは? どっひゃ〜〜〜!
ここは亀山(久保)八幡神社というらしい。すごいね!!尾道!!
さらに本通り沿いに戻って歩いていると、こんな紋のついた古いコンクリートの建物に続いて、
一部コンクリートで補修された煉瓦塀! え? なに? これ?
とにかく古い煉瓦積みにドキドキする。
きれいな煉瓦じゃないし、コンクリートの挟み方も素人っぽいけど、そこに味があったりして。
塀の中には、蔵のようなものがのぞいていた。なんだろ、ここ??
アップにしてみた。
ロングに引いてみた。うーん・・・わからないけど、なんかすごいものかも。
後で宿に戻った時、フロントのオジサンに聴いてみたら、「爽籟軒(そうらいけん)」という豪商の別荘だとか。庭園が有名で、そこにある茶室「明喜庵(みょうきあん)」は、京都にある千利休のつくった「待庵」の写しになっているらしい。
ほら、やっぱりスゴイものだった。
久保町郵便局で風景印をいただいたので、次にロープウェイを目指す。バス通りのむこうは、階段をはさんで線路、
その向こうにはお寺と神社が〜〜。
そして、その反対側にはさっきの鳥居が!!
そして門も!!
この門がまた、なんともいい感じに古びていて〜。
道路に面した裏側の屋根瓦には水紋があるんだけど、
門をくぐって表側を見たら、
水紋と龍! 水をかき分けて泳ぐ龍!
頭が大きくて、ちょっと子ども体形な狛犬さんたち。
それにしても、境内にバス道と鉄路って・・・!!! 再び尾道カルチャーショック。
狛犬さんたちが守るのは寺社だけではなく、鉄路と道路の交通安全もなのだ、きっと。大忙しだ。
線路の向こうは寺社だらけのエリアになっているのだ。
尾道本通り その2
商店街の途中にある郵便局で風景印をもらって、さらに歩く。
意表を突く毛糸店の看板を発見! ええ〜〜っ!?
このデザイン! このアイディア!
うわあ、お店を見て久々にドキドキしたよ♪
こちらは正反対の、お洒落でモダンで高級感あふれる帆布製品たち。
こんな製品も。尾道の子どもたちは使っているのかしら? カバーをつければ、たしかに成長しても使えそうな気もする。
ガイドブックにあった「あなごのねどこ」だ。
「尾道空き家再生ゲストハウス」であり、格安宿泊施設。トイレとシャワー共同で風呂無し、相部屋もOK、とにかく安ければ!という人にはうってつけ。「ウナギ」よりは奥行きが手狭、ということなのかも。
カフェもついてます。「あくびカフェー」
ここのリノベーションは私好みのセンス。でも「風呂なし」「トイレ共同」は無理だなあ。
あっ、昔懐かしい、デパートの屋上に必ずあった子どもの乗り物だ! ただ揺れるだけなんだけどね、これに乗れたら無性にうれしかった。当時10円。30円入れたら、今も動くんだ!
ネットでは「オバケのQ太郎」のがいっぱいアップされていたけど、さすがに古すぎて引退したのかも。今も現役なら「50年もの」だもんな。
正統な正しい鮮魚のお店。シンプルで整頓されている清潔さ、オール板張りというのもすてき。
こちらの路地はお寺につづく道。踏切ではなく、下をくぐるトンネルタイプ。
一旦、お宿に立ち寄る。予定よりはやくチェックインし、部屋に荷物を置いて再度街中へ。「尾道みなと館」は、昨年できたばかりの、ちょっとだけ贅沢なペンション風プチ・リゾート。本州では尾道が拠点となる観光地「しまなみ街道」を、自転車で走破する前後のお客のために、自転車持ち込み可だそうだ。
ここに決めたのは、ラジウム温泉があったから。日帰りもできる。
もちろん、「バルカフェ」ことレストランやカフェバーも併設。
ここで、16時経過。
さて、次の郵便局に立ち寄ってから、やっと「千光寺公園へロープウェイで」、というオーソドックスな尾道観光に出かけるのだ。
しかし、ロープウェイにたどり着くまでにも寄り道だらけなのは、いつもと同じ(汗)
尾道本通り その1
石段の下の踏切を渡り、そのまま駅前の大きな道を横切り、駅方面にしばらく戻って、駅前本通りのアーケードのある商店街の近くまで来る。
ここでブロンズ像と遭遇する。ご存知、尾道の有名人、林芙美子である。ひとりでどこにでも行ってしまうバイタリティのある女性だ。そしてやはりお城とツーショットだ。
物理的にも人間関係的にも、放浪のひと。なにを思っているのだろう。
ある意味、寅さんの女性版か?
アーケードを入ってすぐに寄り道だ。
「林芙美子資料館」があったから。無料。
ここがふるさとではないけれど、2年遅れての小学校生活に続く女学校生活を、彼女は尾道で過ごした。10代の多感な時期に、親友に恵まれ夢多き時代を過ごした彼女にとって、尾道はふるさと同様だったのかもしれない。彼女も「土堂小学校」を卒業しているので、大林監督の先輩なのだ。
芙美子ゆかりの家が残っていた。彼女が間借りしていたのは2階部分なので、正確には「林芙美子の部屋」。
中にも入れるのだ。
ちゃんと2階が見られるように灯りが灯っている。
階段が急勾配すぎるので、ゆっくりゆっくりあがっていく。
上には着物などが下がっている殺風景な部屋がひとつ。これが思春期の芙美子の住まいだった。
さて、ふたたび本通りに戻る。
商店街の両側にある路地、また路地。こちらは山側。路地に続くのは踏切、そして石段。
このすてきなティスプレイは古道具屋さんかな?
ウィンドウの最前列には、なぜか小さなお琴と伊勢エビ。
あ、この路地の先にも踏切と石段が。もはや尾道の定番なのか。
ひるがえって海側に続く路地は石畳になっていた。
尾道のガイドブックには必ず載っている、銭湯をリノベーションしたカフェ兼お土産屋さん「ゆーゆー」だけど、こちらも今日は定休日(汗)
さすが広島、洋品店に広島カープのユニフォームを着たクマさん人形! しかも手づくり!
商店街の片隅の小鳥の巣箱のようなお堂に、かわいいお地蔵様が鎮座。しっかりしたお堂でなく、こんな素人さんの手づくりも味わいがある。初めて見る手づくりお堂。
おおっ! 7段の石段をあがっての踏切待ち! その奥へは、やはり石垣があるので、石段か坂道に続くみたい。
(「尾道本通り その2」につづく)
持光寺
本人の気づかないうちに延命パワーを授かって、門をくぐる。
帰りもくぐったから、2倍のパワー。
持光寺は、平安時代に伝教大師(最澄)の高弟・持光によって草創された天台宗の寺院。本尊は聖観世音菩薩立像。
しかし、南北朝時代・足利義満の頃、本尊に立像の来迎・阿弥陀如来を迎え、浄土宗に改宗する。京都は東山の永観堂 浄土宗西山禅林寺の末寺となる。そして江戸時代、徳川5代将軍綱吉の頃、五劫思惟の阿弥陀如来を迎えている。
五劫思惟の仏さまって、自分の髪を切るのも忘れるほど「どうしたら人を救えるのか?」と考え続け、アフロのような髪型になった仏さまである。なんと、この阿弥陀如来さまに一度お参りすれば、最高位の「極楽浄土に至らんこと、何の疑いもなし」と書いてあるではないか!
死後は絶対安泰ということなのか。それはすごい!
そうそう、粘土でつくる「にぎり仏」がつくれることでも有名なお寺で、作った後は住職が「心をこめて焼き上げ送付」してくださるようです。
持光寺について、コンパクトにまとめたサイトはこちらを参照↓
枝垂れ梅が咲き、モクレンの蕾が膨らむ境内へ。
平田玉蘊(ぎょくおん)も尾道のひとだったんだ。玉蘊は江戸時代の女性画家。持光寺は、彼女の菩提寺だった。
彼女の絵が入った石碑も。
立派な屋根の鐘楼。
りっぱなシャチホコと鬼瓦がついていた。
あれ? お寺なのに、狛犬が威嚇していた。
こちらはちょっと腰が引き気味かも。
小振りでアットホームな感じのお寺だった。残念ながら、本堂は閉まっていたので、直に阿弥陀如来様とは対面出来なかったが、外からそっとお参りする。
玉蘊の好きなソテツもある、きれいに手入れされた境内だった。
本堂の大屋根には、立派な鬼瓦に、
ちょっと剽軽な鬼瓦も。
ふたたび、延命門をくぐる。なんだかワクワクするのは、やはり石のパワーのおかげか。
最初の石段をくだった先には、両側に石柱。読めないけど、善なるものは通れるけど、
すべての悪は、ことごとくストップされる門、ということかな?
この石柱のある場所から、さらに石段は続くのです。ほらね。
しかも最下段には、なんと踏切! 滋賀県では考えられないシチュエーションだ。ここでも尾道カルチャーショック。
しかし、横手をみれば、(たぶん)廃屋の荒れた庭に、ユキヤナギや沈丁花が咲き乱れていた。こういう風景は、なぜかちょっと和む。
それにしても、石段の下が踏切って・・・なんというか、新鮮でした。