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紙魚子の小部屋 はてな版

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

田原天皇社跡

山瀧寺跡(さんりゅうじあと)には、新しいお堂が建てられている。

 

 

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 宇治田原町の荒木地区にある寺院跡である。

 周辺では古くから奈良時代の瓦片が見つかっており、山瀧寺の前身寺院が古代から存在していたらしい。

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格子の小さなガラス面から中をのぞく。しがみついてのぞいたが、十一面観音さま(町指定文化財)や掛け仏さまを認識できた人はいなかった。ガラス面の映り込みなど、悪条件もあったかもしれないが、「見る」にはムリがあった。いっそ「秘仏」としてくれた方が、あきらめもつくのに。

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ここまでで、マンホールに遭遇できずにいたが、ここでやっと出会えた。あちこちから、「マンホールありましたよ〜!!」という声がきこえる。私のマンホール好きに協力していただき、ありがたや、ありがたや。

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少し坂をあがり、山に入って「田原天皇社跡」に到着する。

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田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の第7皇子で万葉歌人

 皇子が詠んだとされる歌は「万葉集」に収録されている。
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 神南備の岩瀬の杜の時鳥(ほととぎす) ならしの丘にいつか来鳴かむ

 石(いわ)走る垂水の上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも

伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。

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宝亀元(770)年10月、第六子の白壁王が光仁天皇として即位すると、亡き父に「田原天皇」とおくりなしたそうだ。


現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られたが、明治になって大宮神社に合祀された。このあたりは「荒木小字天皇」という地名だが、これは田原天皇にちなんでのことらしい。大胆。

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 ということで、次のポイントは大宮神社だ。

 

御栗栖神社の大杉

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社殿は一間社流れ造り。

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 周辺にあった栗林は、「宇治拾遺物語」に登場する天武天皇の煮栗焼栗伝承に由来し、その栗、毎年11月15日禁裏御所に献上する習わしで、明治20年まで続けられていたそうだ。

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社名である御栗栖は、朝献の栗林が次第に人々の信仰を集めるうちに定着したものではないかと言われていたが、この栗林も現在は茶畑にかわり、昔日の面影はない。

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しめ縄が誇らしげな狛犬さん。

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こちらはさらにご満悦↓ 

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絵馬はユニークだったけど、神紋はふつうですな。

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 この神社でのイチオシの見どころは、これ!

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「みあげるような大木」とは、こういうのを言うんだな。 

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どんどん木に触れて、古木のパワーをいただかなくては!

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大木に囲まれた神社は、いかにも本来の神社っぽい。

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いごこちのいい場所、というのがいまや私の中では神社仏閣の必須条件。

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きっちりと積まれた石垣の表層は、削られたように扁平だ。

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これはいつ頃の技なんだろう。

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ご神木の前には、ぬけめなく屋根付きの賽銭箱がある。

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なんどもなんども何度も見上げるけど、その度に感動する。大きさと太さと、人間にははかりしれない時間とに。

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そして足物の根っこにも。

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ながいながい時間をかけて、人間が守ってきた物に対する感動でもある。 

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名前を知らない樹木が若い実をつけていた。

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宇治田原の伝承〜御栗栖神社(みくるすじんじゃ)へ

宇治田原はいまでこそ辺鄙な場所にあるけれど、昔は奈良、京都(中心部)、近江、伊勢に通じる交通の要所でもあり、伝承や歴史の宝庫である。天武天皇の石碑に集合する。

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弘法大師が井戸をつくったり、与謝野蕪村がこの地を紀行文にしたり、「宇治拾遺物語」では大海人皇子(のちの天武天皇)が宇治田原に立ち寄ったり、幕府に反抗した後醍醐天皇が笠置に逃れるルートにしたり、徳川家康が伊賀越えに使ったり・・・と、枚挙にいとまがない。

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次のポイント「御栗栖神社(みくるすじんじゃ)」へ行く途中、ボランティアガイドさんが、橋を渡ったところで、史跡の説明をしてくださった。 

「いま渡ったのが『犬打川』で、橋は『犬打橋』といいます。その名のいわれは」

 

鎌倉時代末、幕府に反抗した後醍醐天皇は、都を逃れて笠置山に立てこもったのは有名だ。いわゆる「元弘の変」である。その笠置に逃れる道中で、後醍醐天皇は宇治田原を通 ったといわれており、ちょうどこの辺で一行は野犬に吠えたてられた。逃亡中なのに犬の声で目立ってしまうので、野犬を打ち殺したといわれている。そこで「犬打」という地名になったらしい。愛犬家のみならず、動物好きには怒り心頭の話であろう。

 

 

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また遠目ながら、美しい茶畑も拝見できた。高級茶には「おおい」がかけられているそうである。

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少し歩いて御栗栖神社(みくるすじんじゃ)に到着する。静かでひんやりした空気に、神社独特の結界に入った感じがした。

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年を経た木々に、すうっと清められて行くような気分。

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鳥居をくぐる。

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壬申の乱の際、天武天皇が来られたとき、村人が焼き栗を献上したそうだ。その栗を土に埋めて戦勝祈願された栗が芽を吹いて栗林になり、そのそばに770年になってから社が作られた。それこの神社のが始まりだそうだ。

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山城全体の守護神でもあるらしい。

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端正な石灯籠の上には、四方にハート♡みっけ。

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蓮花の花弁の下は波。火袋から火がでませんように、というおまじない。実はハートも「猪目(いのめ)」といって、火伏、魔除け、招福の意味がある、もっとも古い日本古来の模様のひとつらしい。

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交通安全の絵馬は、モノクロでシンプルなのに絵馬の絵柄としては斬新。買うべきだったかなあ。

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こちらは開運招福の絵馬。馬という漢字を鏡文字にするのは「左馬(さま)」といわれるもの。「うま」を逆から読むと「まう」になり、めでたい席で披露される「舞い」を想起されるため、「左馬」は縁起のいいおめでたいものらしい。

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馬が9匹いて「うまくいく」というシャレも入っている。この神社の絵馬センスは素晴らしい。

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巨大な杉は、町の指定文化財だ。

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 まずは、おまいり、おまいり。

 

 

またまた「ひよっこ」について

木曜日にオンエアされた「ひよっこ」の話で恐縮だけど、みね子ちゃんの初デートは東京タワーで、東京タワーすぐそばの『増上寺』の横をふたりで歩くシーンがあった。そこがジャストに私がおととし偶然歩いた場所なので、ひとりで「行っタワー!そこ、いったわー!!」と、きゃあきゃあ♡ (ひとりで駄洒落言ってもね・・・)

 

ただし残念ながら東京タワーの下で友達夫婦とゴハンは食べたけど、上には上がらなかった。ゴハンのあとは急いで築地本願寺に行ったから。そして、「ひよっこ」では夏の場面だったけど、私の行ったときはレアな雪景色だった。

 

あの、ふたりのバックがミュージカルのようにサイレンスなダンスだったのもステキだった。ふたりのロマンチックな心象風景みたいで。そのシャボン玉みたい夢心地な演出で、シャボン玉みたいなロマンチックな幸福は、あえなく消えそうな予感たっぷりで、でもまだ幸せの絶頂な本日の回。そのへんのさじ加減が絶妙だわー。

 

いろんなことを予感させる本日の回。実はみね子を好きな男子は、他にもいそうとか。

そろそろ管理人・富さんの過去がみね子の恋とスライドして語られそうとか。先週は川本世津子さんが、もしかしたらお父さんの居場所を??という布石を置いてたし。

 

みね子のおとうちゃんの失踪理由は、たぶん昭和のドラマで頻出していた、あの理由なんだろうなあと。もちろん脚本の岡田さんは昭和のドラマ設定(脚本)に思いを馳せて、わざと使った確信犯。もう、みなさんおわかりですよね。

 

って、外れることもしばしばな私の予想なので(笑)

 

それにしてもムネオさん(峯田和伸ウィークは名場面、名言が続出だったなあ。あおりできっと「銀杏BOYS」の知名度があがって、ユーチューブの視聴率があがり、大人気だったろうな。

 

もちろん峯田さんは、ムネオさんとは違う人だけど、ちらっと「あさイチ」で見た感じは、きちんと誠実に受け答えをする感性も抜群なロッカーだった。うろ覚えながら、峯田くんの話したこと↓

 

ビートルズは大好きです、よくもこんなぴったりな役が来たなあと/ビートルズはキャーキャーいう観客の女の子との距離感が絶妙で、そこがかっこいい! ちょっと伏し目がちで照れたようで、でもいい気にならない冷静さもある距離感/

 

ビートルズをあんなに鮮やかに表現できるなんて、新鮮なオドロキだった。ビートルズをほぼ女子目線でみているところも、なんか、いい。

 

しかしほんと、岡田さんはうまいなあ。登場人物がスクランブルしたり、重なり合ったり、フーガになったり、連続したり、相反したり、ちょこっと効果的な脱線入れたりするのもいい。なによりご本人が楽しんでいるのが感じられて(むろん締め切りがあるので苦しい思いもされているでしょうが)、そこがいいなあ、って思うんです。

 

 

 

「宇治田原ふるさと御膳」をいただきます。

お昼ゴハンは、去年できたばっかりの、きれいなお食事処でいただいた。まっさらすぎて、最新式のトイレの仕様にとまどうほどだった(笑)

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ぱっと見、地味だが、しみじみおいしい地の物である。やはりお茶どころなので、お茶を使った物が多い。

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玉露の葉をゴハンに混ぜたり、抹茶をマヨネーズに混ぜてみたり、茶味噌を使った田楽とか。全部美味しかったが、私はお茶の葉の天ぷらがお気に入りだった。写真にはないが、「茶汁」も風味があった。宇治田原の食を堪能する。比較的?高年齢の私たちには、量的にもちょうどいい。

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こうやって「お品書き」にすると、なんか豪華ですよね。私も晩ご飯に手書きの「お品書き」つけてみようかな(笑) 

いや、あってもH氏はまず読まずに食べるだけだから、ムダな努力だ(確信) やめとこやめとこ。

禅定寺境内を巡る。

境内の弁天池には、弁天堂がある。いかにも寺院の庭園なのだが、

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この太鼓橋が、ふと私に「モネの庭」を連想させたのだ。

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ほらほら、睡蓮だって!

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カラーもステキ。洗濯洗剤のCMみたいだが、日の光の下、白さが輝いている。

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もちろん寺院の庭園らしさも満喫。青紅葉が、石組みが美しい。

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ん・・・? アップにすると、不思議な顔面もありますが(汗)

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これだけの庭は、並大抵の努力では維持できない。雑草が生えていないだけではなく、

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竹から落ちる遣り水と、花々の配置と世話も行き届いている。

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さりげなく苔や蕗もあしらわれている。

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鐘楼の横を通り、

 

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素敵すぎる四阿(あずまや)。苔むした茅葺きの下で、風光明媚を楽しめる。

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屋根のてっぺんの継ぎ目には、やはり大きな器が雨よけに伏せられていた。

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鎮守堂の前には、縁結びの絵馬代わりのカード。よつ葉のハートのクローバー模様だ。

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宇治田原という地域は、地形上もハート型なので、ハートで町おこしをされているとか。ハートを前面に押し出してから、観光客が急増したそうだ。

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禅定寺は座禅体験ができるお寺なので、「座禅婚活」もされているとか。なかなかの確率でカップル成立し、ゴールインされた方もいらしゃるとか。座禅で婚活する方は、結婚に対しても真面目なのかも。

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本堂の廊下から見た平成涅槃図大壁画の説明と全体図が、掲げられていた。

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詳しくは画像をクリックすると、画面が大きくなって読めます↓

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ところで、ずっと気になっていた屋根の上の白い物。あれはアワビの貝殻だよね。でもなぜ屋根に?

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幸いご住職に質問できた。茅葺きの屋根を巣の材料にパクる鳥避けだそうだ。ほら、不要なCDをぶら下げて、虹色に光るので鳥避けにするのと一緒。f:id:simikonokobeya:20170707143702j:plain

また、海のものなので、水をイメージして火伏の魔除けとしての意味もありそうだ。

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充実した時間を過ごして、禅定寺をあとにする。

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収蔵庫は宝物だらけ

収蔵庫は山門(仁王門)前にあって、そこからの風景も、南山城ののどかさに溢れていた。

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収蔵庫にはご本尊の「十一面観音立像(重文)」をはじめとした十体の平安時代からの諸仏が祀られている。当然、写真撮影禁止。でも禅定寺のHPに写真がリンクされていて仏像名をクリックすると拝見できるので、ご興味のある方はこちらを↓

境 内 - 曹洞宗 禅定寺

 

といいながら、すっかり収蔵庫の記憶がおぼろになった私も仏像の画像を参考にして、この記事を書こう。

 

実はこのご本尊、以前京博で開催された「南山城の古寺巡礼展」で拝見したことがあったのだ。というか、ほぼ収蔵庫の仏像は出品されていたらしいので、お会いできたのは2回目だったみたい。

 

立派な収蔵庫には、正面にご本尊の「十一面観音立像」(重文)がいらっしゃっる。3メートル近い大きさで存在感のある美しさ。木造で漆箔がほどこされており、衣紋の流れも優美。前身は桜材、後身は檜材で作られている。

驚くべきは前面だけでなく、360度から拝見できる、仏像展の最前線をゆく展示方法だ。

 

藤原期の奈良仏師が作ったのだが、作者は不明。可能性としては、禅定寺が創建(995年)された平安時代末期の造像で、大仏師・定朝の作である宇治平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像」よりも60年ほど古いものであり、定朝の師匠である(ひょっとしたら父親かもしれない)「康尚」(こうしょう)の作かも、という説も。

一方、先ほどいただいた「ころ柿」のレシピを教えてくれたのが、この観音様の化身だったという伝説もあるそうだ。

 

その両脇には「日光・月光菩薩立像」。ふつう、観音さまの脇侍は、「不動明王」と「毘沙門天」らしいので、珍しいパターン。ご本尊と同じ時期に作られた一木作彩色の重文だけど、もとはセットではなく客仏で、よそからみえた仏さまたちらしい。江戸時代に禅定寺を再興した月舟禅師が、別のお寺から持ってきたという説がある。その後、明治の廃仏毀釈で彩色が落とされ、まったくの木肌になられてしまった。それはそれで美しいんだけどね。

 

その他、「四天王立像」「文殊菩薩騎獅像」「地蔵菩薩半跏像」なども、藤原時代の素朴でおおらかな木造仏で、いずれも重要文化財

岩座に座られて、弥勒菩薩のように半跏思惟のお姿が印象的なお地蔵さまは、シンプルで、ことさらに美しくたおやか。もとは桑在寺にあったものかもしれない、とのこと。

 

また、文殊菩薩さまは定型通り獅子に乗られているのに、大威徳明王像(藤原時代作)は、何故か定番の「牛」ではなく「象」に乗っていらっしゃる! 本来の普賢菩薩さまが失われたので、なんらかの理由で乗り物の牛をなくした大威徳明王さまがお乗りになられたのでは、ということになっている。

大威徳明王は異形で猛々しいお姿だが、象だって相当猛々しそう。鼻をふりあげパオーン!!と吠えている真っ最中。そんなに猛々しいのに、なぜかほのぼのするのは、古仏のおおらかなチカラだろう。

そして古仏だけあり、獅子の毛並みも奇妙だし、象の牙は下から生えている。獅子も象も見たことがない仏師が、少ない情報と想像力で作り上げた力作だからであろう。いいじゃない、象の牙が逆に生えてたって。

 

ところでお寺の宝物は仏像だけではない。「禅定寺文書」も国の重文である。書かれたのは鎌倉〜室町期。その内容は・・・近隣と境争論を繰り返していたという、ちょっとありがたくはない出来事なんだけどね。

ところで、まだ学生だった現・皇太子の浩宮さまが、昭和55年にゼミ旅行で、ご学友たちとこの文書を見に来られたそうだ。証拠写真も抜け目無く残っている。ちなみにご学友はすべて女生徒だったらしい。

 

私がご住職の説明で、とても腑に落ちたことがあった。古来、近江の木材が瀬田川〜木津川を通って運ばれ、奈良のお寺の仏像になったという話である。なるほどと思ったのは、長谷寺の巨大な観音様は、琵琶湖に浮かんでいた霊木を使って作られたということ。なぜ遠い近江の地から?と、かねてより不思議に思っていたことが、ここで解明された。すっきり♪

 

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ふたたび仁王門を通って境内に戻る。ぞろぞろとご住職に従って行く。