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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

3月11日

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今年の3月11日は、ちょっと違った。

やはり実際に東北に行ったので、東北が身近に感じられたのだ。現場にいって、自分の眼で見て、感じるというのをずっとしてみたかったので、去年、南三陸に行ったことで、心の距離が近くなった気がする。

 

現場に行くと、その後の感じ方が違う、というのはH氏に教えてもらったのかも。彼は阪神大震災が起こって、まだ余震が頻繁におこっている時期に、ボランティア志願をした。しかも当の本人は風邪でヘロヘロだったのに(おいおいMなのか!?と思うくらいの無茶な行動だった)。それでも、今でも「死ぬかと思ったけど、あのとき行っておいてよかった」と言っている。そうなのかも。

 

その後、まだ幼稚園児の息子・Tくんに「見せなくては!」と父子2人で神戸に行き、がれきの中を歩いたらしい。

 

奇しくもTくんは現在神戸に住んで働いており、仕事で「震災◯周年」のイベントを企画したりしているらしい。おまけに就職直前に東日本大震災が起こったので、仕事で被災地を何度も回っている。思わず「因果は巡る糸車〜」という、NHKの昔の人形劇『新・八犬伝』での坂本九ちゃんのナレーションが、空耳として聞こえてきそう。

 

NHKの人形劇といえば、『ひょっこりひょうたん島』が有名だけど、その後、同じ井上ひさし氏の脚本で長らく放映された連続人形劇『ネコジャラ市の11人』の方が、世代的に私には思い出深い。

 そのラストで、ネコジャラ市は大地震に見舞われ、地割れがし、がれきの町と化す。しかし、市内での犠牲者は身をもって市民を助けた市長のみで、その彼も「捨て子の赤ちゃん」として甦る。

あのラストを、いまも被災地の希望として、折りに触れて思い出す。去年、南三陸の海に落ちる美しい夕陽を見たときにも。

 

三陸の番組をいくつか見て、懐かしさと親近感と、また南三陸に行ってみたい気持ちになってしまった。まだ通過しただけの、福島にもね。