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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

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 今日はオフで、しかも家族のだれも朝からお出かけしないのをいいことに寝坊を決め込んだ。とはいえ、悲しい事に7時半くらいには、目が覚めてしまったのだけど。

 自主的に寝坊を決め込んだだけあって、どうもいまひとつの調子らしく、10時前に再度就寝を決め込んだ。悲しいくらい年齢的な体力の衰えを感じるこの頃。

 とはいえお昼からは、上野千鶴子さんの講演会があるので、お昼前には起床し、滅多に着ないワンピースなどを着用する。というか、こんな機会でもないと着用できない。

 上野千鶴子さんは、講演会らしからぬ、ものすごいラフなしゃべりで壇上から客席を沸かせた。介護&医療関係のNPOなどの事例発表みたいな感じ。

 

 上野さんの理想とする介護は、意外かもしれないけど「施設介護」ではなく「在宅介護」だということ。介護する家族の立場でなく、自分が要介護老人だったら、という立場で考えると、そりゃ自宅で暮らして自宅で死ねたらって思うでしょう。あくまでも自分本位に考えるリアリストでないとフェミニストはやれない。

 正直で世間や倫理のバイアスのかからない目を持っているのが、彼女の武器であり、ある意味しんどいところなのかも。だからこそ攻撃に対してはさらなる攻撃を返したりするけど、同様にしんどい思いをしている人に対しては、男前に優しい。

 ところで、要介護のおひとりさまが自宅で暮らし自宅で死ぬって、そんなの無理? いえいえ、実は、ちゃんと事例としてやれている地域が存在していた。それも宮崎とか岐阜とかの地方で。もちろん一人暮らしでも(というか、むしろ一人暮らしの方が事がスムーズに運ぶらしい)可能ですという検証済み。

 彼女が「べてるの家」に関心を持ち、障がい者運動に興味を示していた過程は知っていたけど、最近の動向は『おひとりさま』以降は情報を入手していなかった。だから、近著『当事者主権』に、彼女の近年の研究成果と興味が結集したことを今日知ることになる。

 で、本日の話は偶然にも、息子の内定先とも、現在終盤に向かっている読書中の本ともリンクしているので、「わお!」という感じだった。

 もっとも本の方は、「障がい者」というモチーフはともかく、テーマは全く違うのだけど。ベン・マイケルセン著『ピーティ』(すずき出版)がそれ。不覚にも後半で泣いてしまったのでした。後半になってのリアリティは、きっと著者の生な見聞がベースになっているからじゃないのかな。おとしよりになってからのピーティは、ほんとに生き生きしているもの。

 『ピーティ』は児童書だけど、いやいや年齢を問わない。泣いたとはいっても、「かわいそうな話」ではない。「嘘はやめようぜ、本音で付き合えばいろんなことが見えるぜ」的メッセージと、「実は介護する側の方が、介護される側よりギフトを与えられるのだ」的話、というとかいつまみすぎなのだけど。読ませます。