年をとるって?
雑誌『考える人』の2月号の特集は「あこがれの老年時代」。私は年をとるの、あこがれちゃいないけど、嫌がってもいないぞ。いままでの続きで普通に過ごそうと思っているだけ。
でもそこに、他でもない橋本治さんのロングインタビューが掲載されていたので、ざっと読んでみた。
彼はまず乱視がひどくなったのが、最初の「年を取った」実感だったそうだ。それはそのまま今の私にあてはまる。
もともと乱視だとは目医者さんには言われていたけど、寝起きに二重にみえるくらいだったので、そうは不自由していなかった。
それが昨年あたりから、えらく不便になってしまった。もろ、乱視。おまけにしっかり老眼。手元が読めない。メガネをかければいいのだけれど、すると遠くがぼやけてしまう。近くをとるか、遠くをとるか。至近距離か、遠距離か。悩みつつも、面倒くさくて作ってあるのにメガネはいまだ掛けず。
年をとるって、どんどん不自由になってくる自分のからだに驚きながら、そしてそれを受け入れながら生きていく事かも。「あれ?」「あれ?」と思いつつも、変化する自分を受け入れるのは、幸い私に取ってはそんなに難しくはない。アンチエイジングを目指して闘おうというガッツのある人間ではないので。
橋本治さんは、こんな風に書いておられる。
年を取るとどんどん物事を忘れていくから、ああ、忘れちゃっていいんだ、と思った。そうしたら、とてもラクになった。
やっぱり橋本治さんだ〜♡ 私もそれを読んでラクになったよ〜(笑)
年をとったらおきがちな、いろんなマイナス面は「それはもう、がんばらなくていいことだ」から、許してあげようよ、自分、みたいなことか。パーフェクトでなくていいじゃん、別に、みたいなことかも。なんて素敵。(ただし、なるべく他の人に迷惑かけない範囲で。そのへんが難しいとこだな)
昨年の私の自戒は「無理しない」こと。
一時膝を痛めたので、整骨院で対処をきいてみたら「無理しないこと」と言われたから。駅ではエレベーターを使い、エスカレーターに頼り、極力無理しなかったら自然に直った。仕事で充分すぎるくらい足腰を使っているから、駅でラクしたくらいで運動不足になることもないしね。
無理をしない、ということは言い換えるなら、年齢とバランスよくつきあうことかもしれない。自分の年齢と手を携えて、仲良く年をとってゆきたい、と思う。