鐘の世界
ショートプログラムで浅田真央ちゃんを見た時に、もしかして大技に気を取られている?と非常に心配した。たぶん多くの人たちが、一時的に真央ちゃんの親族のような気持ちになっていたことだろうと思うが、私もそうだったのだ。そのときには、大技が終わってからの、彼女のにこやかな笑顔にほっとしたもののショートプログラムでの彼女自身の「表現」に、何かしら物足りないものを感じたのだ。
つい最近、彼女のフリーの曲であるラフマニノフの前奏曲「鐘」が、非常に不評であることを知った。暗い、彼女のイメージに合わない、見ている人たちが乗らない、などなど。そうなの?
本日フリーを夜のオリンピック・ダイジェストで見て、「鐘」で演技する真央ちゃんを見る。ええっ? こんなの見たこと無いぞ!
わかりやすい曲でもなく、振り付けでもない。でもなんだかわからないけど、圧倒される。
妖艶さやポップさや華麗さや愛らしさを表現するわかりやすいスケーターはいるけれど、こんなでかい難解なものに挑むとは・・・。確かに見ていて明るい気持ちにも、楽しくもならないのだけれど。
ふと山岸凉子先生の昔のバレエマンガ、『アラベスク』をなぜか思い出した。浅田真央というスケーターの、心身ともに血のにじむような努力の末にたどり着いたであろう「鐘」の世界。私はショートプログラムの『仮面舞踏会』より、フリーの『鐘』の方に魅入ったな。素人がみたって技術的にもなんだかえらく難しそうで、凄まじいまでに突き抜けた世界にいた浅田真央という人に圧倒された。あれを二十歳にもならない人が「する」のだ。それだけでも恐るべきことなのに。
終了後の彼女の涙は、金メダルがとれなくて悔しい、というだけのものではなく、純粋に『鐘』の世界を完璧に構築できなかった悔しさも大きかったのかもしれない、とふと思った。
いったい浅田真央という人は、どこまで行くんだろう。誰からも愛される、純真で素直な努力家の「真央ちゃん」ではない、果てしないところを見据えている19歳を感じた。