生きている不思議
昨日は仕事にいけるか危ぶまれるほど、まだまだ回復過程にいたが、なんとか出勤することができた。でもお昼前後は正直、「うう、早引きするかも?」というくらいダメダメな感じだった。
お昼ご飯のときには、あんなに元気におしゃべりしていたのに(笑)
でも思い起こせばいつも、ご飯を食べた後、というのがアブナい。あの「消化できません〜(汗)」という胃からの悲痛なSOS信号。
それでもなんとか頑張れたのは、「3時半からカウンタ―当番だ」という使命感のみ。この「つっかい棒」に助けられて、乗り越えられた。
あの寝たきり状態だった昨日のお昼過ぎまでは、いままであった「つっかい棒」を2本ほど外された気がする。人間って、もしかしたら体力だけじゃダメで、なんらかの精神的な支えがなければ、簡単に死んじゃうかもしれないと痛感してしまった。
イジメで自殺せざるをえないのは、そんな「つっかい棒」を、すべてはずされてしまうからだろう。逆にだれからもはずされない「黄金のつっかい棒」が、宗教とか哲学とかいうものかもしれない。
それとともに、「生きている不思議」も痛感する。生きているって、すごいことなんだっていうのは、病気をするたびに実感する。
いやもう受験生の母というのは、かくも強力なつっかい棒をしていたのかと、今更ながらに驚いてしまった。とともに終わった後の崩壊加減にも。これは合否に関係なく、「来る」ものだと思う。あくまで私の場合だけど。
しかしショックだったのは、この情けない状態(頭痛、肩こり、嘔吐)をして、おばあちゃんに「紙魚ちゃん、それは更年期や!」と断言されたことで。それはやはり、ちょっと却下したいご意見である。
やっと普段どおりに「ごはんをいっぱい食べられる状態」へと復調したので、たいへんうれしい。この復調をもって、更年期障害ではないと証明できたはずだ、うん。