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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

ハイビジョンをみる/その1

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 ついに昨日までの疲れがどっと出たようで、日曜オフだし、朝は8時にやっと起床。9時に朝ご飯を作り食べ終わって片付けをしたら10時前。

 新聞のテレビ欄をみればBS-hiで10時より『週刊ブックレビュー』があるのを発見する。先週の土曜日に久々見たら、読みたい本目白押しだったので、注文買いしたくらいだったから、2匹目のドジョウを狙って滑り込みセーフでゴロリとしつつ見る。今回もやっぱり、あるある、気になる本が。

『昭和 戦争と平和の日本』 ジョン・W・ダワー/著 みすず書房

『趣味は何ですか?』 高橋秀美/著 角川書店

『マーチ家の父 もうひとつの若草物語』 

   ジェラルディン・ブルックス/著  高山真由美訳

   武田ランダムハウスジャパン

 ちなみに前回の気になった本は、以下のものです。

『夕暮の緑の光―野呂邦暢随筆選《大人の本棚》』

   野呂邦暢/著、岡崎武志/編  みすず書房

『「暮しの手帖」とわたし』 大橋鎭子 暮しの手帖社

高機能自閉症児を育てる 息子・T の自立を育てた20年の記録』

   高橋和小学館101新書

 その後『ブラネット・ベイビーズ』を見て、アフリカでのサバイバル力を身につけるためのなかなかに厳しい子育てを知る。3歳から薪運びや子育ての練習をし、学校に行く頃には、井戸まで行って20キロの水を頭に乗せて家まで運ぶ手伝いや、母親に教えられながら炊事をする少女、カバやワニやヘビがいるビクトリア湖で、キケンと隣り合わせだからこそ、父親に厳しく漁を教えられる少年達に、ドキドキハラハラ。

 勉強ができない子は、親が先生に頼んでもう一年同じ学年で勉強させてくれるよう頼むそうだ。人の目とか狭い視野での親心なんて持っていたら、「その子が生きるためのサバイバル力」なんて永遠に育たない。

 お父さんの弁。「都会に出ていい会社に勤めたとしても、その会社がずっとあるとは限らないし、ずっとそこで働けるとも限らない。そういうときに、漁の術を身につけていたら、収入が少なくても食べて行くことはできます(だから子ども達には、漁の技術を身につけて欲しい)」

 振り返れば自分も含めての日本の子育ては、線が細いなぁ。

 でもこの「サバイバル力」=大人になってから社会で行きて行く力って、先にあげた『高機能自閉症児を育てる 息子・T の自立を育てた20年の記録』にも通じるかもしれない。

 自閉症をもつ息子Tくんの母である作者は、息子がなんらかの障害を持って生まれたらしいと気づいてから、忍耐強く子育てをしつつ、持ち前の研究心で本を読み漁り、大学に通って障害児教育の勉強を始め、同時にビデオやノートに息子Tくんの詳細な記録をとって行く。

 Tくんは知的能力の高いお子さんだったので、洛南高校から京大へと進学することになったのだけど、それは彼の興味が導いた結果であって、お母さんとしては「高い学歴で幸せになるとは限らない。むしろTの場合、幸せになるのに邪魔にならないか心配なくらい」と書かれている。

 

 社会で行きて行くために何が必要かをきちんと知っていらしゃるし、とても冷静に考える事ができる希有なお母さんである。障害児に理解があるとは思えない小学校で、息子さんが先生に体罰を受けて怪我をしても、学校や先生に配慮して「作戦を練り」、おそろしく冷静に対処されているので、むしろ心ある先生方の共感を得て、その後の学校生活を有利に、しかも得難いものにするという大逆転劇を実現された。

 難関進学校の洛南を選ばれたのは、「障害児へのフォローが行き届いているから」という一点である(高い学力に見合うからではない)というのも可笑しい。

 単純に横並びの平等を推進することの無意味さも痛感する。普通学級にはいっても「その子に合った教育」をしてもらえないなら、知的にも身体にも障害がなくても、むしろ障害児クラスに入る方が、その子にとっては幸せなのに、とすら思われたのだ。

 発達障害をお持ちのお子さんを育てている方だけでなく、一般の子育てにも役立つ事がいっぱい。これくらい冷静で、観察力のある親が増えれば、学校は助かるんだろうなあ。もちろん双方の「よりよくしよう」という努力は不可欠という前提の上でね。