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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

潮健児さん

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 『ゲゲゲの女房』では、本日ついに『悪魔くん』のテレビ放映が決まった。

 実写版の『悪魔くん』とか、『カッパの三平』とか、好きでしたね〜! あのモノクロのアヤシく恐ろしげな気配がたまりません。とくに「メフィスト」と「いたち男」が大好きでした!! 

 当時子どもだった私は、キャストや俳優さんの名前はほとんど興味がなかったので覚えていなかったのだけど、さっき調べてみたら、「メフィスト」も「いたち男」も役者さんは故・潮 健児さん。 

 でも彼のヒットキャラは「仮面ライダー」に登場する「地獄大使」だったりする。その人気のほどは、Wikiよりの記事で明らかだ↓

  出演作も非常に多く、当然交友関係も広かった。特に萬屋錦之介は「お父さんは地獄大使と友達だ」と言ったことではじめて息子に尊敬され、『仮面ライダー』出演を本気で東映にオファーしていた。

  共演者の子供達にせがまれて、地獄大使のメイクをして子供の家を訪問したこともあるという。後年、潮はインタビューで先の萬屋のエピソードを引き合いに出し、「お父さんは地獄大使を知っているんだぞ」というのがステイタスになるくらい、当時の『仮面ライダー』という番組の人気はすさまじいものがあった、と語っている。

 地獄大使のエピソードに関しては、いい話が続く↓

  かなりの高齢になってからも、各地の仮面ライダーショーからのオファーがあると地獄大使として出演し続けた。楽屋を訪問したことのあるSF作家の山本弘は「あれだけ重いスーツを着て全身汗だくで演技するのは相当辛いはずなのに、実に楽しそうに演じていた」と語っている。

 1993年の第32回日本SF大会DAICON6にゲストとして招待されたが、出演する企画の前夜にホテルの部屋で倒れている。付き添いの唐沢俊一は企画出演を中止することを提案したが、本人は企画出演を望み体調不良を隠して出演しファンから大歓声を受けた。この名演技により暗黒星雲賞ゲスト部門を受賞し、本人も喜んでいたが、これが実質上「地獄大使の最後のステージ」となった。

 (自伝の出版記念)パーティーの翌々日、潮は容態が急変し亡くなった。その葬儀では池部良佐々木剛らゆかりの俳優達や多くのファンがつめかけた。出棺の際にはファンが「イーッ!」とショッカー戦闘員を真似たかけ声で見送った。この話は誇張されて流布され、「黒強化戦闘員のタイツを着用した『ショッカー戦闘員』が数人現れ、ショッカー式の敬礼と『イー!』の掛け声で送った」「ショッカー戦闘員としての立場からの弔辞を読み上げた」といった都市伝説も語られた。

 潮さんのWiki情報を見ていると、「わぁ!」と驚く事がいっぱいだ。

 「1945年、古川ロッパ一座入団」だし、特撮ものでは「七色仮面」や「キャプテンウルトラ」にも出演されているし、テレビの現代劇では「特別機動捜査隊」や「泣いてたまるか」や「キイハンター」や「プレイガール」にも出演されている。時代劇だって「素浪人月影兵庫」にも、「大江戸捜査網」にも、「ぶらり信兵衛 道場破り」にだって出られている。

 ・・・古い話でごめんなさい、ついテンションがあがってしまった。

 すごい俳優さんだったんだ・・・私にとっては、いまだにまざまざと思い出すくらいインパクトのあった「メフィスト」や「いたち男」の人だものね。1993年にお亡くなりになっていらっしゃるので、遅ればせながらも謹んでご冥福をお祈りしたい。