以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

これでいいノダ

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 一旦終わったかに見えた27日の話は、実はまだ続きがある。

 すっかり秋の景色に気を良くしたH氏は、もう夕方近くになっているというのに、「八幡の方へいってみよ! きっとキレイやで! 北の庄へいってみよう!」と提案し、東へ出発。

 初めて通る細い道を車で走る。なんだか懐かしいような建物が流れて行く。

 そんな中で、ひときわ目を引く教会が右手に見え、思わずUターンして引き返した。入口はこんな感じ↓

サイドからはこんな感じ↓

さっき調べてみたら、近江野田教会は、あのヴォーリズゆかりの教会だったのだ。なんとなくヴォーリズ建築の匂いがしていたと思ったら、やっぱりだ。

 教会の略史の欄の最初に

「放蕩の限りを尽くした浦谷貞吉兄弟がヴォーリズに出逢い、みごとに改心し信仰を得る」とあり、まるで聖書ダイジェストみたいだ。

 1910年がことの発端だ↓

ヴォーリズ一行12人が琵琶湖に船を漕ぎだしたところ、俄に風雨激しく帰幡できなくなり浦谷貞吉の里、野田に着岸。その夜より伝道集会が始まる。野田伝道の開始である」

 1926年に、

念願の「野田基督教青年会館」が出来上がる。<設計=近江兄弟社設計部、建築=野田在住の大工 森伊三郎兄>

 そして1946年に「日本基督教団 近江野田教会」と改め、これを機会に野田在住者は全員近江八幡教会より転入し、近江野田教会員となる。

 しかし1995年に、 主任担任教師が老齢引退・召天され、無牧の状態となる。

 1997年よりは3牧師を迎えるも、依然代務者と協力牧師である。「ちいさいおうち」ならぬ、小さい教会は、なんとなく70年代の匂いがして、懐かしい。