『リアル・シンデレラ』
今日は読書会に出席。メンバーの出席率もよく、サンデル教授の授業以上に白熱して盛り上がった。
課題本は滋賀県出身の作家さん、姫野カオルコさんの直木賞候補だった『リアル・シンデレラ』。姫野さんのエッセイは好きでいくつかは読んでいるのに、小説は初体験。エッセイでは意気投合するだけに、もしかして姫野さんの小説は合わないかも?と恐れていたのだ。
でも課題本となれば、強引に読まなければならない。今回は夏休みが入ったため、2ヶ月の期間があり、しかも寝込んでいる時間があったため、頭痛と戦いつつも読了できた。
さらに今朝、20分ほど気になっていたポイントを読み直すと、まさに「そこ、テストにでま〜す」的重要個所だったので、思わずガッツポーズだった。
トニー谷的キャラが、ものすごくヘビーかつ重要なシーンで登場するのだが、あの「なんじゃこいつ的語り口」が絶妙なスタンスをとっている。しかもひとことひとことが重いこと重いこと。そのキラ星のような名言の数々にうっとりしてしまう。あの語り口だからこそ、すばらしい。
というか、「○○ざんす」というトニー谷の語り口と救世主のような内容の台詞とをドッキングさせるという発想に度肝を抜かれた。さすが姫野さん!!と脱帽。もしかして、「うつ」というどん底から這い上がったからこその、とんでもない高い境地に達されたのでは。
主人公の泉(せん)さんは、信じがたい聖人とかありえない善人とか思われがちだけど、子どものようにピュアで素直で、人一倍努力のひとで、サービス精神旺盛な、「自分の世界まっしぐら」な人なのだ。そこには笑いすらある。
自分のささやかなしあわせを見定めながら、自分の周囲のひとびとが幸せになるよう考えるのが好きなので、なにか世間の価値観から大きく外れている。そこに大いに違和感を感じる人々もいれば、「ものすごい美人」を感じる人もいるのかも。彼女のズレが理解できない人は不気味に感じるし、彼女のズレに共感するひとは魅了される。
この小説の不可解な点を解決するべく、外堀を埋める作業をしていた。姫野さんのブログを読み、インタビュー記事を読み、読者レビューも読んだ。
直木賞候補作だったので、選考委員の講評なども読んだ。これがもう、驚きだったな。
選考委員は全員プロの作家さんで、なかでも宮部みゆきさんは、講評字数も抜きん出て、とても真剣に読み込まれており、正直心打たれた。姫野さんの作品を大プッシュされていたのに受賞には及ばなかったことを、「私の力が及ばなくて」と、伏してごめんなさい状態だったのだ。
それにひきかえ、「なんでこのひとが選考を?」という方もいらして。何が悲しくてこのひとに「文学とは」と説教されなくちゃならないのか。こうも的外れな講評をさらして、ご本人は平気なのだろうか。それより、直木賞は大丈夫なのかとすら思う。
姫野さんは、おじさまがたの寵愛を受けるどころか、神経を逆撫でするタイプだろうから(そこがいいのだけど/笑)、残念ながら実力はあっても無冠が続くかもしれない。だけど、宮部みゆきさんが講評でおっしゃっていたように「姫野さん、この作品を書いてくれてありがとう」と思われることが、作者にとっては一番の喜びなんだろうな、と思う。
自分の靴を履いて楽しく人生を歩き、自分のオリジナルな幸せを味わおうよ。そうすれば周りのひとたちも、きっと自ずから幸せになれるはず。「この幸せ」は、なんだかちょっと泣いちゃうね。後半、きます。