日々悩む
このあいだ某育児雑誌を読んでいてびっくりした。著名な小児科医の先生が文章で「関西の人は食品の放射能に対する関心は低いだろうけど」みたいなことをおっしゃっていたからだ。
スーパーはむろんのこと、JAの野菜売り場も道の駅でさえ、キャベツや白菜は、北関東や東北産ですが。
魚に関していうなら、加工されてしまったら産地さえも、もはやわからない。ちくわやがんもどきを始めとする練り製品全般ね。こうなればもう、関東も関西も東北も関係ない。
こんなときに、かつて不二家のケーキが消費期限切れの材料を使ったとか、伊勢名物の『赤福』が消費期限の改ざんで大問題になったことを思い出すと、いまや笑ってしまうな。あんな牧歌的なことで、あれだけ騒ぎ立てて、ずいぶんかわいそうなことをしたと思ってしまうくらいだ。
買い物にいくたびに悩むけれど、生きるためには食べなければならない。無頓着や無謀は避けつつ、でも長期戦になるのに、いまからキュウキュウしていたら「持続可能な」生活は無理だ。
逆に「遠くない未来には、もはや食べられない」ことになってしまうものだってあるかもしれないし、その辺も悩ましい。
どうも5年後くらいには、いろんな結果が出ているらしいので、少なくとも数年後の私たちに対しては、自分たちで責任を持てるように暮らしたいけど、なんせ手探りだからなあ。きっと知ったらショックすぎることが多すぎて、とても発表できませんという政府の親心なんだろう。
とはいえ「私たちはだまされていた」という言い訳だけは、第二次世界大戦直後までとしたい。
カタカナや横文字で地名が呼ばれる大災厄は、調べれば調べるほど、不思議なほど共通点があって、人は歴史からなにも学ぶことが出来ないと、痛烈に思い知らされる昨今だ。