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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

東北に捧げるカーネーション

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 今日は記念すべき『カーネーション』の最終日だ。そんな重大な日にも関わらず、なんと寝坊してしまった!! よりによって今日という日に、なんという失敗!! 大チョンボだ!! 

 Kちゃんからは「さすがおかーさん、やってくれるな〜」と。

だからBSで、一週間分の『カーネーション』を途中10時から見て、最終回の冒頭いきなり、「だんじり」の空撮?にびっくりだった。やるやん、NHK! 朝ドラで空撮って、すごい。空から糸子が「だんじり」をみている! 

 「おはようございます。 しにました。」というナレーションにつづく糸子の語りは、まるで昨日読了した『心のおくりびと〜東日本大震災復元納棺師 思い出が動きだす日』にも通底するようだ。

 そしてすっかり見慣れた、鳶がとぶ岸和田の青空が、なんだか妙に懐かしい。

 そういえば余命幾ばくもなかった加奈子さんが元気に登場するのは、ストーリーとしてはどうなのか? あまりにハッピーエンドにこだわりすぎなのでは?とも最初は思った。だけど、放射能について、そしてガンについて語ることは、現在進行形で生きている誠実なストーリーテラーなら、触れない訳にはいかなかったのだろう。物語全体に流れるトーンは、日本の、ことに東北の現在と未来への静かな応援となっているから。

 朝の『カーネーション』を見そびれるという、かつてない失態を演じてしまったが、実はもうひとつの失態も。

 めったに『カーネーション』を見ない、最終回だって後半分しか見ていないH氏が「今日の『カーネーション』のラスト、すごかったな〜!」と感心していた。看護士さんが車椅子のお年寄りを待合室のテレビの前に連れて行き、『カーネーション』の第1回をみせてあげる、という個所。

「あの車椅子のおばあさん、奈津やんなあ。最後にあのひとに『カーネーション』みせるなんて、すごい締めやんか」

 実は恥ずかしながら、私はそのとき初めて、その場面の意味を知ったのだった。しかも車椅子のお年寄りは「おじいちゃん」だと思い込んでいたし。

 一日1回の視聴では済まない『カーネーション』ウォッチャーの私が、めったに朝ドラを見ないH氏に、してやられるなんて!!

 しかもH氏は、なんのヒントも情報もなしで、脚本家のドラマ作りを想像しての指摘だった。私はお昼の再放送で「看護師長さんが、絶対見せてあげなさいって言ってたのに」という看護士さんのひとりごとで、やっとウラをとって確信したのだ。

 見事H氏に負けました。と同時に自分自身にガッカリする。そんな重要なことを読み落とすなんて! 

 どれくらいガッカリしたかというと、もう来週から『カーネーション』が見られないという喪失感と相殺されるくらいの、かなりなガッカリさだ。おかげで、楽しみでしょうがない朝ドラが終了するときにいつも感じる「胸に穴があいたような」気分から逃れられたのではあるが。

 そういえば私自身が夢想した『カーネーション』のラストは、糸子が奈津と死後の道中を共にして、相変わらずお互いに悪態つきながら、あの世に旅立つというものだったな。どう考えても奈津が『カーネーション』を観るというアッと驚くシチュエーションの方が素晴らしいよね。最後の最後までやってくれます、渡辺あやさん。

 震災後に日本中の、ことに東北の人々に、渾身の力で捧げられたであろう『カーネーション』。このドラマに関わっていただいた全ての人々に、心から「ありがとう」と「お疲れさまでした」を捧げたい。