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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

さよならは言わない。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 どういうわけかスルーしてしまっていたが、先週H氏に教えてもらった。

「あんたが好きな作家死んだで。パソコンの横の本棚に並んでたの。ブラッドベリやったっけ」

 ああ、そうなんだ・・・とばたついているうちにダウンしてしまって、気がつけば彼が亡くなって一週間が経った。6月5日夜に死去された。享年91歳。

 薄情なようだが、あまりピンとこない。それは彼がとうに生前墓も墓碑銘も作っていたからで、私自身すでにもう彼は故人なんだ・・・と誤解していたフシもある。しかし、新作が出ていたんだからそれは違うだろうに。それ、自分、ちゃんと買ってるって!(未翻訳の短編だとおもっていたのかも?)買っただけで、読んでないのがバレバレだね。

 とはいえ、私の中学生、高校生時代に欠かせなかった人なのだ。今はなき満員の京阪電車で、まぶしい朝日を受けながらうっとりと、しかし現実には必死でページを繰っていた。『10月はたそがれの国』『何かが道をやってくる』『刺青の男』『太陽の黄金の林檎』。陰影に満ちて、ロマンチックで、ほろ苦くて、なにか刺さるものがあって、リリカルで。電車の揺れとセットで思い出す。

 はじまりはやっぱり、『たんぽぽのお酒』と『火星年代記』の名作2連発で、これでハマらなきゃウソである。

 その後、萩尾望都が『11人いる!』で大ブレイクしたのもあり、一気にSFヤローになってしまった。とはいえハードSFはやはり読めず、ブラッドベリから日本SFへと流れて行く。高校時代にはマイナーな雑誌売り場の片隅にあった日本SF専門誌『奇想天外』を、『薔薇族』や『さぶ』や『SMファン』(だったような?)を押しのけつつ、そのつど買って読んでいた。

 おかげで今もパソコンの横の本棚には『別冊奇想天外1981(年)レイ・ブラッドベリ大全集』が、ちゃーんといてくれる。久しぶりに開いてみて、目次をみる。

 えっ!? ブラッドベリについて書いている人たちの顔ぶれが、素晴らし過ぎる。だって星新一小泉喜美子中島梓真鍋博萩尾望都新井素子・・・ですよ。

 『レイ・ブラッドベリの魅力を語る』という座談会には、小笠原豊樹(『火星年代記』の翻訳者) 川又千秋ブラッドベリテイストの作風のSF作家、むろんブラッドベリアン) 萩尾望都ブラッドベリの作品を漫画化もした、むろんブラッドベリアン)

 めまいがしそうに贅沢なラインナップだ。そこにブラッドベリのオフィスでの写真あり、作品リストあり、年譜あり、インタビューあり、短編あり、エッセイありで、もしかしたら、めまいどころか卒倒ものかも。

 ちょっと驚いてしまって長くなってしまったのだけど、まあ、それはいいとして。いいたいのはそれじゃない。

 かつて『モモ』を書いたドイツのミヒャエル・エンデが大ブレイクしたことがある。そのときはみんな一瞬立ち止まったのだと思う、この「忙し過ぎる世界を疑問に思う為」に、一瞬。

 けれど『モモ』に書かれていた警告は次の瞬間には無かったことにされ、いつしか、よりいっそう世界の悪化は加速してしまった。ように思う。もしかしたら、エンデはそれを残念に思っていたのではないだろうか。ファンタジーのひとだから。

 ブラッドベリも、世界にいろんな警告やアイロニーを発しているけれど、彼はもうずっと前から知っていたように思う。彼はSF作家だから。人間って、どうしようもなく、馬鹿だよねーっていうことが。そうだ、人間は愚かだから、殺し合ったり破壊し合ったりしている。それは充分わかっている。

 でもね、人間って、こんな素敵なとこもあるんだよね、地球ってこんな素晴らしいところなんだよねという部分も、しっかり肯定していて、人間が両面あることを知っていた人なんじゃないかとも思える。

 あきらめてるけど、愛している。

 日本のSFはブラッドベリの影響受けまくりだと思うんだけど、それはとても幸せなことだったと思ったのでした。

 というわけで、いまさらブラッドベリに、さよならは言わない。40年前も今も、私に取っては彼は同じスタンスだ。

 SFの詩人 彼岸にも此岸にもあり 水無月