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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

ご近所で観光

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 市内のご近所観光をした。

 最後に働いたのが地元の図書館だったので、郷土資料について、郷土の歴史や神社仏閣文化財について、あまりにも無知なのでせめて郷土の一般教養くらいの知識は持たなくては、と痛感していたのだ。少しずつ、あまりにも身近な場所ゆえに、かえって食指が動かなかったところへも、このごろは意識を向けるようにしている。

 なにしろ「銅鐸の町」なので、歴史は古い。というか古過ぎる(笑) いきなりそんなはるか古代から遡っていくのもどうか、と思われる。

 おりしも大河ドラマは『平清盛』である。その時代に焦点をあてて郷土探索してみよう、と決心したのが今年のお正月。それでお正月早々、平家ゆかりの場所に行ったのだが・・・。

 

 そこは平家終焉の地とされていた。え? 壇ノ浦ではないの?

 平清盛の息子のひとりであり、壇ノ浦の合戦で破れた大将の平宗盛とその息子、清宗が処刑された場所だといわれている。前の池で首を洗い、胴を埋められた胴塚が残っている。荒れ果てた感がいっそうあわれに思われた。大河にならなければ、決して来ることもなかった場所だ。しかし正月から終焉とは! 順番がちがうだろう。

 それから半年たった。そろそろ捲土重来だろう。うかうかしていたら、大河が終わってしまう。

 まだドラマでは登場しないが、清盛の寵愛をうけたという白拍子、妓王と妓女の姉妹が生まれ育った地でもある。そのゆかりの尼寺、「妓王寺」が歩いて行けるほどの至近距離にあるのだ。いまは無人の寺となった妓王寺は、普段は予約しないと拝観できないのだが、大河ドラマの影響で見学者も頻繁にみえるようになったので、ドラマ放映中は毎日オープンして、地元の方がガイドもしてくださるという。

 ときはいま!と明智光秀のように思いつつも、なぜか金縛りにあったように行動出来ない。あまりに近すぎるため、実行するきっかけがないと動けないのだ。

 ぐずぐずしていたら、どうやら業を煮やした明智光秀が「降りて」きたらしい。昨日はもとの職場の友人である二人のお客さんが見えて、久しぶりに楽しく語らった。そのうち、ひとりの方が「妓王寺に行きたい」とおっしゃった。「いまなら予約しなくてもいいし、ここから近いし、ドラマもしてるし」

 まさに「ときはいま」だ。こうして「平家終焉の地」を訪ねてから半年後、ふたたび平家ゆかりの場所を踏むことになるのである。

 (つづく)

   味気なき声のみ梅雨寒迷い猫