妓王寺にて
徒歩可能とはいえ雲行きも怪しいうえ、そう若くないメンバーでもあるので、車で乗り合わせて、近くの臨時駐車場まで行くことにする。
妓王寺まで少し村の中を歩いたが、手入れの行き届いた草花が咲き乱れる庭が随所にある。
小さいながらも、予想以上に立派な門にたどり着く。お約束のように『平清盛』のポスターが貼られてあった。ガイドさんによれば、1枚目はボロボロになったので、すでに2枚目とか。
手前の赤い花はアマリリス。小学生の頃、音楽の授業でリコーダーのレパートリー必須だった曲のタイトルだった花だ。嘉門達夫だって名(迷)曲『小市民』のなかで、「リコーダーで『アマリリス』を吹きながら下校する〜あああ〜小市民〜♪」と歌っているくらいメジャーな花だ。
祇王寺の宗派は浄土宗で、代々尼さんがお寺を守っていたのだが、先代がお亡くなりになった後は無住で、地域の方たちがお守りされているお寺だ。
妓王寺は、「平家物語」で知られる妓王・妓女姉妹と母の刀自、佛御前の菩提を弔うために建てられた寺です。
2人の姉妹は、この地の武士、橘次郎時長の娘として生まれましたが、保元の乱で父を亡くし、母とともに、京の都にのぼり白拍子となりました。
妓王の美しさと舞の上手さに心ひかれた平清盛は妓王を寵愛するのです。ある日、清盛に「そなたの望みを何でも叶えてやる」と言われ、妓王は自分の生まれた村が水不足で苦しんでいることを語り、「私が可愛いと思し召すなら私の生まれ故郷に川を作ってくださいませ。」と頼みました。そして、難工事でしたが望みどおり水路が開通しました。
この水路の恩恵を受けた村は10ヶ村におよび、妓王に感謝した村人は、この水路を「祇王井川(ぎおいがわ)」と呼びました。
しかし、佛御前という若くて美しい白拍子が現れ清盛の心を奪ってしまうのです。清盛から追放された妓王は母と妹を連れて京都の嵯峨野に身を隠しました。ある日のこと、庵の戸を叩く佛御前の姿がありました。「明日は我が身…、日が昇ればいつかは沈む」と悟った佛御前は、妓王・妓女とともに尼となったのです。
小さな本堂には阿弥陀如来像、その両脇には閉ざされた厨子がある。ひとつには妓王&妓女の、もうひとつには彼女らの母、自刀と妓王の次に清盛の寵愛を受けた仏御前の僧形の像が、年に一度の御開帳のみということもあり、きれいな状態で保存されている。
お寺というより庵といった方が似合う場所だったが、よく管理、手入れされていて、パワーポイントで手作り感溢れる説明があった。どのくらい手作り感溢れていたかというと、「パワーポイントというより紙芝居」という意見がこっそり出回ったくらいだ。
明らかに素人ガイドさんの、しかしだからこその親切で丁寧な説明や、ひかえめにおすすめするお土産が、ほのぼのと心温まる。ちょっと期待した「妓王まんじゅう」はなかったが、「妓王せんべい」はあったので、迷わず購入する。(後日画像アップします)
ささやかなお寺ではあるが、こころなごむひとときだった。
古寺に諸行無常とシーサーが