あやまちはくりかえしたくない。
以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。
投票日が近づいて来る。こころなしか選挙は全然盛り上がっていないようで、選挙カーもずいぶん控えめな感じなのは、田舎だからだろうか。
いや、かまびすしくても、たいがいにして欲しいと思うのだが、なんだかいやな予感がひしひしとして、憂鬱な気分になってしまう。
なにがいやって、自分たちとぴったり(!)同じ考えでなければ、思いっきり上から目線でバカ呼ばわりしなさい、もはや敵(非国民)として扱ってよし! みたいな人たちが政治の中心になったらと思うと。
しかも庶民が苦しく貧しいときに、いつもそれは靴音を響かせ口笛を吹きながら元気よくやってくるようなので。
あんなに多くの人たちが熱狂したドラマ『カーネーション』の、比喩でなくリアルに鳥肌が立った戦争への怒りや絶望が、その後の現実世界のあれこれで忘れ去られたかのような報道のあり方って・・・とガックリする。いや、それはメディアだけの話だと思いたい。
「だまされた」「知らなかった」「まさかこんなことになるとは思わなかった」といういいわけも、もう2度と聞きたくない。それはあまりに悲し過ぎる。