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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

『高く手を振る日』の読書会

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 やっと普通(の量)にご飯が食べられるようになったので、完全回復は近そうだ。やっぱり病院の薬は治りがはやいわ〜。

 さて、先日の読書会だ。課題本は黒井千次さん『高く手を振る日』。

 高齢者の初々しい恋愛話ということで、実はものすごく期待して読んだわけですよ。確かにどきどきしながら盛り上がる恋心が巧みに描かれている。美しく年をとり、しゃっきりと頭をあげるかっこいい女性の姿が目に浮かぶし、葡萄の枝の成長ぶりや子どもとの会話のエピソードが、物語に光を差し込ませている。うまいなあ〜とは思う。

 要するに、構成や文章やストーリーの流れ方やエピソードの挟み方や読みやすさについては、達者なことは認めます。作者は、上手い人なの。

 でもなんかひっかかる。わかってる。主人公の浩平が、どうにも好きになれないのだ。共感できないの、どうしても。

 美しくもリリカルな老人たちのはかない恋物語? 単に私の意地が悪くなっただけかもしれないけど、この主人公が欲しいのは「恋」でも「重子さん」でもない様な気がしてしょうがない。なんだろう、真空パックの「美しい恋をした記憶」。そういうほんわかしたトキメキみたいなの。男のセンチメンタルなロマンというやつ。

 娘に彼女とのデート(?)を黙っていたのは、周囲への気遣いというより、主観的な「美しい恋」を娘(自分以外の人)の客観的な目で台無しにしたくないだけなのでは。恋のウキウキやウロウロや恥ずかしくなるような気障な台詞は吐くけれど、そこまで。キスはするけれど、それまで。

 それを成熟した男の控えめさや気遣いや諦念とも取れるけど。いやいや、彼に「成熟」があるとは、私には思えない。むしろ「成熟」を感じるのは重子さんだ。男の気持ちなんて、とうの昔にお見通しの手綱さばきのしたたかさを、なんとなく感じたのは、気のせいか? 浩平の妻であり今は亡き親友への、彼女の猛烈なライバル心とかも。

 きっと男性には、ものすごくウケる話なんだろうな。どの書評みても絶賛だし。フレームや文章については、「絶賛」に同意するけど、キャラクターについては、なんでみんな「あの男」の胡散くささに気づかないんだろう、と思ってしまうんだな。

 いや、ほとんどの人は絶賛していたから、私の読み方がイジワルすぎるのかもしれないけど。ああいう男には注意した方がいいですよ、とつい忠告したくなるんですよ。絶対、めんどくさいヤツだと思うから。なにはともあれ、重子さんが彼と離れることになって、私は安堵したのでした。だからラストは「めでたし」かも。

 という意見(ホントはもう少し控えめ)で、絶対多数に反旗を翻してしまったのだけど、「若い(相対です・汗)人の斬新で面白いご意見」と、驚かれながらも温かく聞いてもらえるのが読書会の素晴らしいところなのでした。

 文章の瑞々しさや、「いきどまり」の閉塞感から、葡萄や子どもたちの言葉に生き生きした生を取り戻す場面を押される方、思春期のような恋のドキドキ感などがとりあげられ、それら全面的に絶賛される方もいらっしゃるし、現実的に老人の恋愛についての事例あり、認知症の元上司に冷たい主人公に反感をもつ意見あり、百花繚乱で、読書会の醍醐味を満喫できたひととき。

 私と唯一同意見の年下のNさん曰く、「サンデル教授もびっくりの、白熱読書会!」。

 読書会の帰り、赤い短冊が風になびく。左義長祭、近し!