「はらちゃん」について考える。
先週の土曜日で、『平清盛』以来真剣に観たドラマ、『泣くな、はらちゃん』が終了した。
すみずみにまで神経が行き届いた、そしてとてつもなくシンプルで、やさしくあたたかい岡田惠和さんの脚本。それに具体的な肉付けをしていって、脚本に沿いつつも作品世界を深め広げてくれた制作スタッフのみなさん。もちろん、これ以上は無いくらいそれぞれがぴったり自然にハマっていた、長瀬くんのはらちゃんをはじめとするキャストの皆さん。そんな現場のひとたちの愛の結晶としてできあがっていることが、しみじみとわかるドラマだった。携わったひとたち全てに、ありがとう、といいたい。
たぶん、「あのとき」から私たちは、自分で思っている以上に心が疲れているんだと思う。そのぽっかりあいた心の穴みたいなところに、ものすごく優しい、キラキラしたものをたっぷりと注ぎ込んでくれたのが、このドラマだったんじゃないか。マンガ世界の人が現実世界に出てくるくらい、奇跡みたいなドラマだと思う。
自分の価値というもの、自分を好きになること、お金について、働くこと、贈り物について、片想い、両想い、無垢ということ、恋について、暴力について、死について、赦(ゆる)すということ、愛について、自分のいる場所で生きること。そんな大切なことを、とてもシンプルな形で教えてもらった。
いまになってマンガ世界の登場人物のひとり「ユキ姉(ねえ)」の「赦し」にグッと来て、いまさらさめざめしている。自分を殺した人間を許せるのか、という問い。深い。まるで心におろした錨(いかり)のように、「赦し」について考え続けている。いままであんまり考えてなかったけど、これ、すごい大事なことなんだ。
ユキ姉が恨みの呪縛から解き放たれた笑顔も、許された彼女の罪の意識から解き放たれた笑顔も、再生の輝きに溢れていた。
ずっとつっぱっていた「悪魔さん」こと、切なすぎる清美ちゃんも、すっごく好きだった。ずっと片思いしてた田中くんが「清美さんの片思いの人って誰ですか?」と、この期に及んでトボケた質問をする彼の胸ぐらつかまえて「おめーだよっ!」って告白するの、サイコーだった。
最終回終了後、番組のツイッターだか掲示板だかに、どんどん感想が切れ目なく積もって行ったらしい。わかるわ〜! いてもたってもいられないくらい、感動したからね。静かだけど、ゆったりと深い感動だった。
このドラマをみたたくさんのひとたちが、「世界に片想いしていこう!」と決意しただろうこと、「世界と両想いになりたい!」と切望しただろうことを考えると、どきどきする。そのひとたちの分だけ、世界が輝くだろうから。
ちなみに、この番組のFBの「いいね!」は2万件だ。「かもめ児童合唱団」によるオープニングテーマ『私の世界』は、着うた配信の1週間後1位になったらしい。こんな後ろ向きの歌が、1位って(笑)
たぶん、この作品への細かいアプローチはいっぱいできるだろうし(心理学的なあれこれとか)、謎解きしたい人だっているだろう。
でもこれは各自の宿題として、そっとしておいてあげたい。それぞれひとりひとりの物語として、『泣くな、はらちゃん』は存在していてほしい。
プロデューサーのひとり萩原真紀さんが、スタッフブログでこんなことを書かれていた。
きっとみなさんの中ではらちゃんが生き続けてくれるのではないかと思っています。なにか困ったら、心のはらちゃんに聞いてみるといいかもしれません。とてもシンプルでまっすぐな答えが見つかるかも!!信じる気持ちがきっと、この先歩く道を示して、照らしてくれるのだと思っています。
視聴者各自が、「心のはらちゃん」と素直に向き合い、「私の世界」を大切に歩んで行けますように。