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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

悟りはスタート地点にすぎない。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 せっかくいい感じに雪だるま氏の話を進めることが出来たのに、残念ながら続きがある。

 涅槃の境地に至り、どこまでも穏やかな眼差しだった彼の目が、失われてしまった。雪が溶けて、いい加減に取り付けた目(葉っぱ)が流れ去ってしまったのだ。

 目の失われた雪だるま。それはもはやヌケガラのようだった。そう、まるで宇宙人によって、人間の本質が連れ去られてしまったかのように。

 そこで今度は丸い目を調達しようと、名前も知らぬ柑橘系のちいさな実をとりつけてみた。

 あわわ!

 

 これは宇宙人から、からくも生還した、カルトな教祖さまでは。

 そして彼は夕方近くまで、浮遊感漂う説法を繰り広げるのだった。

 悟りを得るのはスタート地点にすぎない。そこからが人間としての勝負なのかも。いや、彼は雪だるまですが。