『線量計と機関銃』
せっかくの土曜日で、あちこちでイベントも目白押しだし、行こうかどうか迷ったりもしたけど、結局じっと家にこもって過ごす。
昨日から大きなニュースがいくつか流れ、不吉な気配が胸にわき上がる。「このまま地道にやってても、遅かれ早かれ破綻するだもん、どーせ破綻するんなら、バクチしなきゃ」みたいなこと? ますます国民年金収める人、減るんじゃないかと不安になる。大丈夫なのか?「総体としての日本」??
このハラハラ感は、昨日、片山杜秀さんの、東日本大震災直後のラジオトークをまとめた『線量計と機関銃』(片山杜秀の本5)を読了して草津駅の図書館ポストに返却したせいかも。
『線量計と機関銃』は、やたらトークの比率が多いクラシック番組(だけどマニアックな映画音楽や古い歌謡曲なども掛かる)で、無関係なふたつのお題を片山視点にて結び、共通項を見いだして、現代の社会状況を憂えつつ分析する、という不思議な時事評論。知的アクロバティックな思考が、やたら面白い。(すごい暴論に走ることもあるけど、「あくまで個人的な意見」とさすがに「オレが正義だ」的なことはおっしゃらない)
この本の、幼稚園児代からの記憶(怪獣映画や大阪万博)までもが繰り出され、あらゆるベクトルから集約した知識による疾走するトークと、ついつい漏れ出るクールな怒り、ふとしたユーモア、透明で妙に明るいペシミズムに感化された気もする。
後続して出された『現代政治と現代音楽』(片山杜秀の本6)が県立図書館で所蔵されていたので、帰途にいそいそと、地元の図書館へ予約手続きしに行った。それくらい面白かったのだ。
今更ながらだけど、ソ連がなぜロシアになったのか、ゴルバチョフが何をしたのかがざっくりとだけどよくわかったし、小松左京さんの小説のテーマや、吉田秀和さんや三木鶏郎さんについての裏話も面白かった。
「吉田秀和さんくらいになると、ぼくなんかよりずっと追悼文を依頼される適任者がいらっしゃったと思うんですが、なにしろ吉田秀和さんはまもなく99歳に手が届くという年齢で亡くなられたので、適任の方もすでにいらっしゃらなかったらしく、僕にも回って来たようです」。
ちなみに片山さんは『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)で、2008年に「吉田秀和賞」を受賞された後、2012年より「吉田秀和賞」の選考委員になられている。
そしてたぶん、片山さんの「文章」ではなく「トーク」にやられちゃったんでしょうね。ラジオで聴く彼のトークは、実に濃いから。