つつましく可憐に。
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ごくごく内輪だけの葬儀も終わり、次は初七日。10年前にキリスト教の牧師さんが、「今は痛みや苦しみのある不自由な身体から解放されて」とおっしゃっていたのを思い出す。もうおばあちゃんは、身体が動かない不自由さも、脱臼した左手の痛みもないのだ。
おばあちゃんの好物だったけど喉に詰まるのを怖れて、久しく食べさせてなかった「みたらし団子」をお棺に入れてあげる。Kちゃんが「そんなのどに詰まるもん、大丈夫か?」というので、「もう喉にはつまらへんよ〜♪」と返すと「あ、そやった!」。やはりいまだ「おばあちゃん生きてる感」があって、家がやたら広い。
それにしても、今回の葬儀(家族葬専門業者さん)ではプロフェッショナルな方々の仕事ぶりが素晴らしかった。葬儀のサービス業は、やさしさと品位が必要な仕事らしい。
天寿を全うしたので、湿っぽいお葬式ではない。ピンクの百合やカーネーション、胡蝶蘭の清楚な晴れやかさの中、ひっそりと菊が香る祭壇。遺影には白黒でなく、ピンクと白のリボン。自然の中でのスナップ写真をそのまま使い、合成で紋付を着せたりはしない。なんとまあ、おばあちゃんにフィットしたセンスなんだろうと感心する。葬儀は簡素化だけでなく、いつの間にか進化していたのだ。